• 2015.10.16
  • ブラジル社会に溶け込んだ『日本人街』の目覚ましい発展
ブラジルは世界最大の日系移住地である事をご存じでしょうか?日系ブラジル人とは、ブラジルに移民として渡った日本人とその子孫であり、ハーフも含まれます。
1908年、781名の日本人を乗せて神戸から出港した笠戸丸は、サンパウロ州のサ
ントス港に到着しました。その後の約100年間で、20万人の日本人がブラジルへ移住。現在、約150万人の日系人が住んでいると言われ、うち約7割の日系人はサンパウロ州に住んでいます。

第二次世界大戦前、サンパウロ市中心街の隣地であるリベルダージ(Liberdade)地区には、商店を開業する日系人が集まるようになりました。戦後になると、ブラジル日本文化福祉協会が創立されたり、リベルダージのメイン通りのガルボン ブエノ(Galvao Bueno)通りに大阪橋や鳥居が設けられたり、小さな日本式庭園も造られました。『日本人街』と名付けられたこの地区では、日系人が経営するホテル、日本書を扱う本屋、日本料理店、食品店、お土産店、旅行社、日系新聞社などが建ち並びました。

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  現在でも日本料理店が多く集まっているこの地区の中では、特にラーメン屋はいつも行列で繁盛しています。お菓子屋では、今まであまり見かけなかったシュークリームが最近出始めて、中には抹茶味も並ぶようになりました。日本食品を扱っているスーパーやお店では、日本の調味料、食品、菓子、緑茶、キッチングッズなどが輸入販売されています。日系人が作っている食材、例えば、野菜や米、豆腐、麺、漬物、味噌なども多く、品数も豊富なので、とても便利です。

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リベルダージ地区の地下鉄入口にはちょっとした広場があり、そこでは、お正月のお餅つき、花祭り、七夕祭り、東洋祭りなどのイベントが毎年開催されます。七夕祭りで、日本とちょっと違う事と言えば、同じ7月でもサンパウロは冬ということです。それでも冷たい風の中、短冊に願いを込めます。その短冊は、白、緑、黄、桃色、青、と赤の6色に色分けされており、白色は平和、緑色は希望、黄色はお金など、それぞれに意味があります。
週末には日曜市も開催されています。今川焼、てんぷら、焼きそばなどの食べ物の他、洋服、和紙で作った文具、盆栽、置物などが販売され、ブラジル人で大変賑わいます。
また、広場の中心には“ラジオ体操記念”塔が建てられ、1978年からは、移民70周年を記念して、毎朝6時半に日本語でラジオ体操が流れるようになりました。

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80年代から韓国人と中国人の進出がめざましくなり、多くのお店の経営も日系人から中国人に代わり、2004年には正式に東洋人街と改名されました。中国製と韓国製の食品や品物もたくさん販売されるようになりましたが、今でも地区の雰囲気は日本人街と呼ばれていた時と殆どかわりません。
今年は、日伯外交関係樹立120周年を迎え、各地で様々な行事が行われ、日系人だけでなくブラジル人も大勢参加して、行事を盛り上げてくれています。ブラジル人の日系社会に対する信頼は厚く、現在生活がしやすいのは、これまでの日本人移民の皆さんのご苦労と努力のお陰と思い、感謝しています。

特派員

  • 皆木サンドラ 奈美
  • 職業語学教師、ペーパートールクラフター

ブラジル生まれのブラジル育ち。大学卒業後、夫の仕事の関係で3年間滞在したシンガポールにおいて習得したペーパートール(=シャドーボックス)や語学を教えています。多国の文化や習慣を上手に混在させているサンパウロでの生活がとても気に入っています。

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