01数字の符合によって発見した平安京の形
- ――仮設を立てるにいたった経緯を教えてください
- 将棋は古くから日本に伝わる遊戯ですが、その起源は不明です。しかし、平安時代から鎌倉時代に、現代将棋よりも駒数が多い大型将棋が存在していたことがわかっています。例えば摩訶大将棋は横が19マス、大大将棋は横が17マスで、駒の動きと名称が陰陽五行思想に則って決められています。調べていくうちに、将棋盤のマス目数が平安京の条坊の数と一致していることに気づきました。そこで数字を読み解いていった結果、初期の平安京は正方形だったという仮設に結びつき、それを解明していったのです。
- ――平安京の遺跡では南北に長い長方形ですが…
- 現在発掘されている遺跡は、10世紀前半の「延喜式」の記述とほぼ一致しています。しかしこの遺跡は平安後期のもので、造営当初の平安京とは違うのではないかと考えました。考古学的な文献にそういった記載はなく、発掘調査でも出てきていませんが、平安京が正方形だという仮設に数字がぴったり合ったのです。平安京の北端は一条大路、南端は八条大路で、その距離は1500丈。東西は東京極大路から西京極大路までで、距離は1500丈。このようにぴったりと数字が合うのは計算されたものにほかならないのです。
- ――都を造るための計算とはどういうことでしょうか
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都を造る(都城)ときの理論モデルは中国の「周礼」という文献です。全6巻、7000字ほどのうち250字くらいが区画や道路幅など、都城のルール。このなかに「方9里」とあります。方が正方形か長方形かはわかりませんが、1辺の長さだとすると実際の遺跡にはあてはまらない、だから適当に書かれたものだと考えられていました。でも、様々な論文から、藤原京、平城京、平安京も9里という数字にこだわっているということがわかりました。9里というのが1辺の長さではなく、周囲の長さだと考えると辻褄が合うのです。
現在発掘されている大極殿は42.4丈ですが、天皇がおられる、都の中心となる建物のサイズに端数が出ることはありえません。平城宮や藤原宮でも必ず端数なしの完数です。これが謎でしたが、我々は平安京の大極殿はそれまでと測る物差しが違うと考えました。周礼の思想に数字を合わせるために小さい物差しを作った、これをx尺として計算すると、大極殿は平安京の中心にきます。詳しい検証については、3月に発表する論文に記しています。