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受賞作品

interview

「記憶を失う」認知症のVR体験を
他者理解への一歩に

関西学院大学理工学部人間システム工学科
井村研究室 / 教授 井村誠孝

アルツハイマー型認知症になると、自身の行動の記憶がまるごと欠落するという記憶障害が生じる。関西学院大学理工学部人間システム工学科井村研究室では、この記憶障害を擬似体験できるVRシステムを構築した。VRコンテンツの巧みな制御により、記憶障害を持つ患者の感情を追体験させ、認知症患者への理解を深める狙いがある。

01社会福祉協議会と学生とが連携してプロジェクトがスタート

――プロジェクトが生まれた背景を教えてください。
本研究室では、実際に目の前に存在しないモノやコトを工学的な技術によって現実であるかのように知覚させるVR(バーチャルリアリティ)を研究しています。2018年10月に、三田市の社会福祉協議会から、社会福祉大会の1コーナーとしてVRを用いた体験ができないかという依頼がありました。
社協の方と本学大学院の学生と一緒に話し合うなかで生まれたアイデアが、認知症を体験できるVRです。認知症患者が「自分がやったことを忘れてしまう」という記憶を失う状況をVRで再現できるのではないかと考えました。
――どのような仕組みですか?
体験者にヘットマウントディスプレイを装着してもらい、コントローラーを用いてVR空間内で「インスタントコーヒーを淹れる」という簡単なタスクを行ってもらいます。目の前に台所があり、コップにコーヒーを入れてお湯を注ぐという動作を行うのですが、コップから目を離した隙に位置が変わったり、入れていないはずのコーヒーがもう入っていたりと、システムが周囲の環境を操作します。それによって、体験者は「置いた場所を忘れる」「やったことを忘れる」という、認知症患者と同じ状況に陥ります。

02VR空間の予期せぬ変化で認知症患者の感情を追体験する

――このVR体験の特徴を教えてください。
VRは、見る、聴くといった外からの刺激でバーチャル空間を体験できますが、記憶や過去の経験を操作して「自分ごと」として体験することは困難です。しかしこの認知症体験では、自らのアクションに対して予期しない変化が起こるため、よりリアルな体験が可能になります。記憶を失わせることはできませんが、体験者の見えないところで周囲の環境を変化させることで、記憶が抜け落ちた状況をうまく再現しました。
――これまでどのように活用してきましたか?
2019年と2020年の三田市社会福祉大会で、「認知症体験コーナー」として出展しました。体験者には「コーヒーを淹れてください」と伝えるだけで、詳しいことは説明せずに体験してもらいます。すると体験中、予期せぬ出来事にイライラしたり、怒り出したりする方が出てきました。これは、認知症患者の被害妄想や無気力感と類似しています。体験者はシステムが動いているとわかっているので「このシステムはおかしい」と言うのですが、実世界で考えれば、認知症患者が、モノがなくなっていることを「家族が持っていった」と主張することと非常に似ています。
また、2019年10月には、介護施設の職員研修に活用しました。体験した職員からは「実際の業務で直面することと似ている」という感想が聞かれ、事後アンケートでも、怒りや疑問、困惑、疲労を感じたという回答が得られました。

03他者を「自分ごと」として体験し、思いやりの気持ち育む

――今後はどのように開発を進めていきますか?
開発時からシステム自体が進化してきているので、コントローラーを使わず、自分の手の動きだけで操作できるなど、より簡単にわかりやすく体験ができるように改良を進めます。また、コーヒーを淹れるだけでなく運転などシナリオのパターンを増やしていきたいと考えています。現段階ではプログラミング技術がなければ新しいシナリオを作ることができませんが、ゆくゆくは知識や技術がない人でも自分でシナリオを作れるシステムに変えていきたいですね。必要とされる方にはプログラムを無償提供し、各々でカスタマイズしてもらい、より多くの方に使っていただきたいです。
体験中の行動を映像で記録できる機能の搭載も予定しています。体験後にリプレイして「このときどう思ったか」と振り返りながらディスカッションを行い、認知症への認識をより深めたいと考えています。さらに記録をとることで、「迷っているとき」「イライラしているとき」などの感情と行動を紐づけることができます。実世界でも認知症患者の状況をセンサーやデータで推定することが可能になり、適切なサポートへつなげるなど、活用方法が広がるのではないかと期待しています。
――このVR技術を通して、どんな未来を描いていますか?
もともと私は、VRを他者理解に活用したいと考えていました。しかし、視覚や聴覚で体験するだけでは「他人ごとの体験」の域を出ません。他者の気持ちを「自分ごと」として理解するには、自らの行動と感情を伴う体験が必要ではないかと考えています。どれだけ頑張って能力や感性をフル活動させてもうまくいかないという焦燥感、自分の能力を超えたところでの「達成できない」という無力感やもやもやした気持ちを味わうことが他者への理解につながり、これまで「こんなこともできないのか」と考えていたことを、自分ごととして親身になって考えられるのではないでしょうか。
最近はSNSが発達し、コミュニケーションの利便性が向上した一方で、他者の気持ちを傷つける言葉を簡単に投げつけてしまう場面が増えています。言われた人がどう思うのか、想像してみてほしいのです。お互いのことを思い合い、誰もが生きやすい社会になってほしいですね。
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