パラマタ川とレーンコーブ川の合流点にある、シドニー湾では最大の島です。
かつては最も大きな拘置所のひとつだったこの島は、今ではオーストラリアの大都市・シドニーに住む人々の出会いと憩いの場になっています。
入植以前のコカトゥー島には、アボリジニ族の人たちが住んでいたと言われています。
19世紀、ここは離島であるノーフォーク島から移送されたイギリス人服役囚の収容施設として使われていました。
収監された囚人たちは穀物倉庫の建設に従事し、19世紀の半ばに倉庫が完成しました。
その後、彼らは島の採石場で労働に従事し、市内の多くの建物に材料を提供しました。抑留者たちの島での生活は過酷なものだったようで、今世紀に入ってなお、隠されていた当時の囚人たちの遺体が地下の懲罰房から発見されるほど。
この場所が刑務所として選ばれた理由は、この海流の中を泳ぎ切れるような囚人はほとんどいなかったことと、海には(おそらく現在でも)サメが出没するので、島外に逃げ出すことが非常に困難だったからです。
待遇の劣悪さが明るみに出たため、この島の刑務所は1869年に閉鎖となり、囚人たちはダーリングハーストにある監獄へと移されました。
その後ほどなく、コカトゥー島は女子専用の実業学校や少年院として使われるようになります。
少年院は罪を犯した少女たちを収監する施設で、実業学校は女子専用の孤児院でした。
少女たちは、かつて囚人たちが暮らしていた劣悪な独房で寝起きしていたため、かなり厳しい生活を強いられました。
その後、ここは海軍学校になり、のちに造船所となりました。
そして2010年、コカトゥー島はユネスコの世界文化遺産に登録されたのです。
私はシドニーに友達が来ると、今では誰でも訪れることができるようになったこの島に案内します。
島に降り立った瞬間、この島を満たす膨大な歴史が詰まった雰囲気を感じるはずです。
コカトゥー島の見るべきポイントを網羅できるよう、波止場では地図を渡してくれます。徒歩でも十分に見て回れますよ。
島内には庭園もたくさんあるので、シドニーっ子たちは悲しい歴史を学ぶというより、アウトドアを楽しむためにやって来る感じです。
工業エリアでは、造船所だった頃に船の部品を作っていた古い倉庫を見学することができます。当時の機械がそのまま置いてあったりして、興味は尽きません。
特徴的でなんとも興味深い場所といえば、ドッグ・レッグ・トンネルです。
労働者と材料を島の端から端まで運ぶために20世紀の初めに作られたとにかく長いこのトンネルは、第2次世界大戦中には防空壕としての役割も果たしました。
毎日オープンしているので、一見の価値ありです。
私はまだ経験ありませんが、島で宿泊することもできます。
キャンプ場のあるコカトゥー島は、シドニー湾で唯一の「泊まれる島」なのです。
自前、あるいはレンタルのテントを張ってキャンプをしてもいいし、アパートや、軍医や機関長が住んでいた古い家を改装したヘリテージ・ハウスに宿泊することもできますよ。
この島には数えきれないほどの伝説がありますが、中でも有名なのが幽霊に関する言い伝えです。かつては刑務所だったし、確かに不気味な場所なので不思議はありませんね。
コカトゥー島に泊まった夜に、なんとも妙な気配を感じたと話す人も少なくありません。
言い伝えによると、それは独房の中で、あるいはおぞましい刑務所から脱獄しようとしてシドニー湾の水中で絶命した囚人たちの霊魂だ、ということです。