でも、その思いはブラジル人も同じだし、フランス人だってきっとそうでしょう。
ニュース記事によると、実際には13世紀の終わり頃にイギリス諸島で行われていた球技が現在のフットボールにとてもよく似ていたそうです。
フットボール発祥の地、イングランド!!!!
しかし、この競技はあまりに暴力的な性質を備えていたため、1世紀後には規制され、その後禁止されてしまいました。 実は1314年にエドワード2世がロンドンと公共の場におけるギャンブル禁止令を出し、この競技もお金を賭ける対象となっていたため、最終的に御法度とされたらしいのです。
イングランドで禁止されるようになると、近隣の地域、特にスコットランドやフランスでもこの動きは広がりました。
イングランドで再びこの球技が行われるようになったのは17世紀になってからで、ジェームズ1世のおかげと言われています。
特にイングランドのカレッジや総合大学に通う若者たちが実施する競技へと変化し、クラス同士で競い合われるようになりました。
チームは必ず10人の学生とゴールキーパー役の教師とで構成されました。
つまり現在のフットボールのフィールドプレーヤーの人数はこれに由来していて、キャプテンの役割は教師の役割が進化したものなのです。
17世紀中に競技のルールブックも初めて作成され、現在のフットボールとラグビーの原型が誕生しました。
この新しい革命的な競技では、11人の2つのチームすなわち22人のプレーヤーが足と手を使って対戦していました。
しかし1820年、明らかに違いのあるこの2種類の競技間で混乱が生じ、これがその後の分離へとつながり、1846年にはラグビー協会が誕生し、1857年には世界初のフットボールクラブ、シェフィールド・フットボールクラブが設立されて、パークフィールドハウスで最初の試合が行われました。
その2年後にはペナルティーキックがルールに追加され、フットボールは国技となって社会現象を巻き起こすようになり、何千人もの観客を動員し、スタジアムは大盛況となりました。
学生の熱狂ぶりが起業家や中産階級にも広がり、ホワイトカラーワーカーもフットボールに親しむようになる一方、自由業界での関心はまだ低く、ラグビーやその他のスポーツに注目が集まっていました。
それでもフットボールはイギリス中で人気が沸騰し、国境を越えてヨーロッパ中に広がろうとしていました。
今ではイギリス人と言えば、持ち前のフットボール熱で有名です。
実際、フットボールはイギリス屈指の人気スポーツで、筋金入りのファンだけでなく中にはフーリガンもいます。
イギリスのフットボール界には、疑う余地のない素晴らしい才能と名声の持ち主が存在し、この国のフットボールの歴史に貢献し、国際スターとなっています。
最近の調査によると、イギリスのフットボールチームは最も収益力が高く、年間30億ドル弱の収益を得ているそうです。
フットボールを「美しいゲーム」と呼び、これを誕生させた歴史を胸に刻み込んでいるイギリス人は、このスポーツをとても誇りに思うだけでなく、実質的な輸出品にもしました。
確かにプレミアリーグはずば抜けた存在のイギリスチャンピオンシップでトップに君臨し、世界中から何百万人もの観客を惹きつけ、200カ国以上で放映されています。
最も人気のある選手や監督の報酬はとてつもない金額で、シーズンチケットも単独の試合チケットも上昇するばかりですが、それでもこのスポーツはイングランドでずっと人気がありますし、フットボールほど情熱(ときに激高)をかき立てるスポーツは他に見当たりません。
ロンドンには異なるカテゴリーに分かれたいくつものフットボールチームがあります。
イギリスフットボール協会の最上位に位置するプレミアリーグだけでも、ロンドンにはアーセナル、フルハム、トッテナム・ホットスパー、クリスタル・パレス、ウェストハム・ユナイテッド、チェルシーの6つのチームがあり、これらはすべて市内の異なる地区を本拠地にしています。