伝説ではカラスがいなくなる、あるいは死んでしまうと、王国は崩壊し、それとともに大英帝国も滅亡するのだとか。
ウィリアム1世(征服王)による統治のもと1078年に建てられた歴史あるロンドン塔は、これまで何世紀もの間ワタリガラスの小さな群れに「守られて」きました。この種がイギリス全土に広く生息していた時代もありましたが、現在は数も減り、ロンドン塔の数羽は人の手を借りて、正確に言うと「レイヴンマスター」と呼ばれるワタリガラスの飼育専任の人に世話されて、塔で暮らしています。
イギリスではこの言い伝えが今もいたって真面目に信じられていて、現在7羽(6羽+予備1羽)が塔の敷地内で飼育されており、あまり遠くに行って群れからはぐれたりしないように(悲しいことですが)風切り羽が切り落とされています。
まったくもって残酷な話ですよね、でも少なくとも当のカラスたちにとっては至福の暮らしで、新鮮なフルーツに固ゆで卵、肉類を中心とした然るべき食事にありつける毎日。
イギリス人は妄信的だとか古くさいなどとも言えますが、王室や王室所有の宮殿にまつわる事柄についてはどんなことでも、かなり厳粛に捉えていることは確かです。
1ヶ月ほど前までは穏やかな日々が続いていたのですが…、そう、ロンドン塔のワタリガラスの女王が行方不明になるまでは…。
あのときは新型コロナウイルス感染症の脅威やイギリス変異種が騒がれていたにもかかわらず、この鳥が姿を消したことはテレビのニュースに取り上げられ、一部の新聞では大きな見出しにもなって報道されました。
独立した人格をもつ鳥と言われるワタリガラス。テムズ川北岸のあの由緒ある塔で数週間も姿を見せないとなると、もはや生きてはいないかもしれないとレイヴンマスターは考えています。
行方不明になったのはこの王室の歴史的建築群に古来より飼育されてきたワタリガラスの中でも最も有名なメスのようです。いつもは夜になると戻ってきて仲間たちと肩を寄せ合って眠るはずのこの鳥が姿を見せなかったので、レイヴンマスターは何か変だと気がつきました。
風切り羽がカットされているために飛ぶことは不可能ですし、自然の中で自力で食糧を見つけるのも難しいはずです。
結局のところ、ワタリガラスは強力なくちばしを持ち、どこでも自由に動き回り、好きなときに飛び立てる、予測不可能な大きな生き物だということでしょう。
行方知れずになったのはマリーナという名前のワタリガラスですが、仲間の群れの中でも最も自立していて、エネルギッシュで、勇敢だと言われていました。
年は13歳(どうか今も生きていますように)でウェールズ生まれ、生後まだ1年にもならない頃に同地方の道端で野鳥救護センターのマネージャーに発見されました。
マリーナが行方不明とは気掛かりなニュースです。というのも、先ほどお話しした言い伝えでは、もし仲間のワタリガラスがみなマリーナの後を追ってロンドン塔から姿を消すことにでもなると、王国は崩壊し国は大混乱に陥ると言われているのですから。
確かに率直に言って、この国がすでに大混乱に突入しているといっても、さほど間違いではないでしょう。COVID-19によるパンデミックが発生し、イギリス変異種が確認されて事態は悪化の一途へ、イギリス発のフライトは全便欠航になり、制限も強化され、今やイギリスは隔離伝染病棟と化したように見えます。
ましてやブレグジット(英国のEU離脱)も実施されています。この離脱は国内の法規に重大な混乱を招き、そのため国民の間でいっそう政治的な分裂が進み、これまでのソーシャルディスタンス以上に互いの距離が広がってしまいました。
また、イギリス王室でさえも、歴史に大きな足跡を残すこの時代に繁栄していません。女王陛下は、かわいい孫が王室を離脱し、王室生活を「放棄」する配偶者に追随してアメリカへ「移住」していくのを目のあたりにしなければならなかったのですから…。つまるところ、あのワタリガラスは予兆だったのでしょうか、この薄暗いイギリス全体にまさに滅亡の手が迫りつつあるように思えます。
1. ゴミ箱をあさるワタリガラス-立派な食事を与えられているはずなのに
2. カラスの道標(サイン)
3. ロンドン塔
*(画像はいずれも、2019年新型コロナウイルス感染症の拡大・ロックダウン実施前に筆者撮影)