• 2016.05.02
  • まるで巣立つ我が子、ベルリン
シャルロッテンブルク(Charlottenburg)区にあった弊社onpaのヘッドクオーターオフィスは2月いっぱいで引っ越しをしました。新しい場所はクロイツベルク(Kreuzberg)という地区。友人たちの中にも、かなりたくさんの人々が引っ越しをしています。
この時期、日本のようにフレッシャーズの時期だからというわけではなく、建物のリノベーションや家賃が値上げされるなどの理由から、ここ数ヶ月にかけてかなりの移動がベルリン市内で見受けられます。土地の上昇率は地区によってもまちまちです。
例えば、元オフィスだったシャルロッテンブルク区のヴィッテンベルクプラッツ(Wittenbergplatz)は、東西ベルリン時代、西ベルリンの中心となっていました。入居した15年前、そこは約90平米で家賃が日本円で約4万円でした。それが今は約16万円という、この驚くべき上昇率!
東西統一したちょうど1年後にベルリンに滞在した際も、新しいビルが相次ぎ建設されていました。まだまだ見渡す限り遊閑地だらけという環境だったので、それほど地価を上昇させることはなかったように記憶しています。路上で勝手に露店仕様のテントを建てて、商売をする東ベルリンの人がたくさんいました。それからonpaがベルリンにオフィスを持った2001年当時あたりまでは、ベルリン全体でスクワットという不法占拠によって、空きビルに若者が住める状況でした。ところがもうそんなスクワットも、クロイツベルクの隅っこに最後の足掻きのように抵抗しながら残っている程度です。


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先日、パンコウ(Pankow)という所にある弊社スタッフの実家に遊びに行き、ご家族と変わり行くベルリンの話題で盛り上がりました。パンコウという所は本当にベルリン市の北の端の方で、見渡す限り畑というような所です。住所にカトフェルンガッセ(Kartoffelngasse)「ジャガイモ小道」なんて名前が付いているほど長閑な地域です。ところが、話によると、5年以内に周辺の畑を潰し、約5万世帯分の住宅が建設されるとのこと!驚愕のスケールです。この長閑でゆっくり時間が流れるベルリンの郊外にも、外資系の大企業、国、地方行政が、ある意味「首都らしい首都」にベルリンを仕上げるための大工事を、近々着工させるようです。スタッフのご両親は、ベルリンの壁が崩壊したと同時にここに定住された経緯があり、何十年にも亘って変化するベルリンを眺めてきた、と複雑な表情で語ってくれました。
そしてわたし自身も、東西分断時代のベルリンから今に至るベルリンの姿を現地で眺めてきたこともあって、まるで我が子のように、というのは格好付け過ぎかもしれませんが、そんな不安と期待が入り混じった気持ちでベルリンという街の成長を見守りたい気持ちです。
ニュースによると、市は土地開発の目標達成を2026年までに、なんと40万世帯の住居を供給することを目指しています。

どうか、その頃も街の美しい古き良き部分が残っていますように…。

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特派員

  • 羽生 和仁
  • 職業キュレーター、メディアアートマネージメント

2001年ベルリンにて、メディアアートのキュレーションレーベルonpa)))))を設立。世界各国のアーティストやフェスティヴァルとの人脈を構築。ベルリンと東京のジェットセッターとして活動中。

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