• 2017.11.21
  • ジェノヴァの歴史的名所、ランテルナ
ジェノヴァは「荒っぽく手強いが、ごまかしのない街」と言われています。この街のことは大嫌いになるか大好きになるかの二択。好きでも嫌いでもないという意見はあまり聞きません。
イタリアにおいてジェノヴァと言って思い付くのはペストソース、ヨーロッパ最大の水族館、旧港、ほの暗くて幅が狭い路地。これらについてはジェノヴァっ子たちも最高だと胸を張って言います。
しかし、正真正銘のローカルなジェノヴァのシンボルと言えば、それは港湾地区の端にあるランテルナでしょう。


ランテルナを描いた壁画

ランテルナは古い灯台で、この地方の遥か昔の歴史を象徴する存在です。最近この伝統ある建物と有名な水族館との間に市の遊歩道が完成したことで、ランテルナは港とつながりました。その間およそ800メートル、17世紀および19世紀当時に建った市の壁に沿って、鉄と木で作られた歩行者専用道路が通っています。

加えて市議会がここ数年取り組んで来たのが、美しく画期的なスマホ向けアプリの開発です。このアプリ、港湾エリアの情報や地図をダウンロードできたり、ランテルナの歴史が各国の言語で読めたり、キッズ用プログラムで子供たちが街の歴史や伝説を学べるなど、充実した内容となっています。
ランテルナはファッロ岬(※ファッロは「灯台」を意味するイタリア語)の突端にあり、77mの高さは地中海に面している灯台ではナンバーワン、ヨーロッパ中のすべての灯台の中でも2番目なのです。
非公式の資料によれば、1128年に建てられた最初の塔の建築様式は現在のそれと同様で、異なる点としては胴体部分が3階建ての構造でした。
現在の建物は1543年、もともとは不審船の入港を監視する物見の塔として建てられ、素材も色も今と同じでした。完成当初から灯台としても使われ、入港する船のシグナルとなるように、1326年にはオリーブオイルを燃料とする最初のランタンを設置したのです。リグーリアとヴェネツィアのガラス職人が手掛けた透明なクリスタルガラスを使うことで強力な光を放つランタンは、当時は画期的な「テクノロジー」として注目を集めたものでした。


単なる港の歴史的名所以上の存在感を持つランテルナ

最初のランテルナの絵として最も古いのは、恐らく1371年に描かれたもので、管海官庁の登録簿の表紙にランテルナの絵が登場したのがこの年です。
この塔、15世紀のある時期には刑務所としても使用されていました。ここに収監された有名人は数多く、一時は何とキプロス王までこの塔の囚人だったのです。
16世紀の初頭、街を支配していたルイ7世が軍の要塞として建てたのが、土地一帯に広がるブリリア要塞です。この時期にフランス軍と戦っていたジェノヴァも爆撃され、ランテルナも半壊の憂き目を見ています。
1543年に行なわれた修復工事で古い壁を取り壊して新しく作られた強固な壁は、今もなお健在です。
近年、近代的な光学系(フレスネルレンズの回転体系)の導入と、アセチレンガスを経て加圧型オイルに至る最新の燃料の導入により、灯台のヘッドライトも大幅にパワーアップを遂げました。その後、1936年にはランタンの電化が実現しています。
現在ランテルナの内部は博物館となっていて、第二次世界大戦当時のガス非常灯が展示され、その頃使われていたヘッドライトの設計図も数多く保管されています。
今はすでに灯台としての役目を終えてはいるものの、ジェノヴァ港の目印とも言えるその姿は、入港する船にとっては変わらず重要なランドマークであり続けています。


かつてジェノヴァを照らした灯台、ランテルナ

特派員

  • パトリツィア・ マルゲリータ
  • 職業翻訳、通訳、教師

生まれはイタリアですが、5ヶ国語が話せる「多文化人」です。米国、ブラジル、オーストラリア、フランス、イギリスで暮らし、仕事をした経験があります。イタリアと米国の国籍を持っていますが、私自身は世界市民だと思っています。教師や翻訳の仕事をしていない時は、イタリア料理を作ったり、ハイキングをしたり、世界各地を旅行したり…これまで80カ国を旅しましたが、その数は今も増え続けています!

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