ミステリーと伝説と神話の宝庫、ジェノヴァ
歴史的には、中世期のジェノヴァは今よりも小さな街で、現在のような海岸沿いに広がった都市ではありませんでした。
都心機能は港の周辺に集中する一方、山間部の小さな農村ではブドウやオリーブやレモンを栽培し、家禽類や乳製品、野菜や果物や栗の実を売って生活していたのです。
都心にそれらの農産物を運び込む仕事は、城門が開く早朝に行われていました。
当時の農家の人たちは、世にも恐ろしい怪物に変身するという夜行性の奇怪な山賊集団「ベアトリーチェ」の存在を恐れ、夜は決してジェノヴァのリギ(この辺りでは特に名高い高台のエリア)の山中に立ち入りませんでした。
ジェノヴァの考古学博物館で展示している青銅器時代の砂岩の茎状石器のコレクションは、ほとんど異様なものも含めて面白いものばかりです。これらが作られた正確な由来は不明ですが、どれも墓地から遠くない河川沿いの地域で発見されていることから、死を司る神や半神半人の守護神王朝を表していると考えられます。
加工石のブロックには逆さまの「U」の中に擬人化した独特の顔が描かれていて、男はだいたい短剣を持ち、女は一様に同じ形の胸をしています。石器に並んだ顔にはどれも口がなく、口から魂が出て行くことを恐れていた当時の人々の魔術的な強迫観念が伝わってきます。
満月が雲で隠れる夜には、この石器の鳴き声が聞こえると当地では言われています。
ジェノヴァ近郊のパラッジ湾は、古代、沿岸地域の要塞の役目を果たしていた同名の城の所有地です。
城の最古の建物から見える海岸には洞窟があり、目もくらむような金銀財宝を四六時中見張る、恐ろしい姿の怪物がその中に住み着いているという地元の言い伝えがあります。財宝の持ち主は気の荒いフランスの海賊男ですが、この城が建つ崖のふもとで男の船が難破しました。ケガを負った体で洞窟に避難するものの、海賊はやがてそこで息絶えてしまいます。伝説に従えば、その男が死後、おどろおどろしい人食いウツボに姿を変えたというのです。
ここで発見された古銭や黄金の鎖、洞窟の巨大なウツボの目撃情報、そして多数のダイバーの不審な死。それらの要素が合わさった結果、このような言い伝えが生まれたのでしょう。
夜中にヴィーコ・デ・リブレイ(オールドブックキーパーズ通り)への帰り道を通行人に小声で尋ねる老女の伝説は、学校でも教わり、後日あらためて耳にする機会もありました。問題のその道は第二次世界大戦中に破壊されたため、残念ながらもはや存在しません。病気の治療のために留守にした自宅に、老女は二度と戻れなくなってしまったのです。我が家に通じる道を失い、見つかるはずのない幻の家を求めて、老女は今日もソプラーナ門(ジェノヴァ旧市街の正面玄関)付近をさまよっているのです。
旧市街に通じるソプラーナ門
ソプラーナ門を入ってすぐ、サルツァーノ地域(ジェノヴァ発祥の地とされる)近くに、カラフルな建物が並び、ジェノヴァの旗を掲げたオープンスペースがあります。
もともとカンポ・ディ・サルツァーノと呼ばれていたこの地域は、ジェノヴァ艦隊とピサ軍の兵士が海戦を繰り広げた末、リグーリアが勝利した場所として有名になりました。戦いの後、カンポ・ディ・サルツァーノは9千人ものピサ兵の捕虜の拘留地になったと言い伝えられています。古代城壁の外側が使われたと仮定すれば、一か所にそれほど大量の人間を収容できたのかという疑問にも説明がつきます。一つだけ確かなことは、実に10年以上もの長い間、ピサ軍の捕虜がジェノヴァに抑留されたという事実です。飢えや困窮にあえぎながら、多くの捕虜がこの場所で亡くなりました。嵐の夜、サルツァーノからピサの方面に帰っていく捕虜たちの幻影を確かに見たという人は、当地では少なくありません。
戦地として名高いサルツァーノ広場