代表的な農産物であるワインとオイルの製造、キノコと栗の収穫を中心として、ここリグーリア地方は多くの農産品を生産しています。
以前に「お話」させてもらったリグーリア産ワインの話題に続いて、今回のブログでは、地元っ子が誇る貴重な名産品の有機オリーブオイル、別名「リグーリアの液状の黄金」をご紹介します。
Bacchiatura(オリーブの実のピッキング)は通常、ブドウの収穫が終わってワインセラーにたくさんの樽が並ぶ頃に行われる作業です。地元のワイン醸造家たちは、この時期になるとオリーブオイル作りに取り掛かるのですね。
この辺の地域では、ワインとオリーブオイルの製造は互いに切っても切り離せないもの。ブドウ畑でオイルが販売されている光景も珍しくありません。
リグーリア州だけで、去年のオリーブの実の収穫量は20トン、オイルの生産量は3トンにもなりました。リグーリア産のエクストラバージン・オリーブオイルは世界中で売られていますが、リグーリアのオリーブ畑がトスカーナ地方に近いという地の利から、トスカーナに輸送されたリグーリア産のオリーブの実で製造したオイルがトスカーナ産オリーブオイルと称して販売されることもあるのです。
リグーリア地方では、オリーブオイル作りは実に2千年もの歴史を誇る産業です。
リグーリアでオリーブ栽培がいかに重要かを知るためには、この事実を踏まえることが最初の一歩なのです。
オリーブオイルが最初に作られたのは、イタリア国内のギリシア人植民地です。その後はエトルリア人が売り歩いたことによって地中海文化圏の主要製品となりました。
ローマ時代、オリーブオイルはさらに重要な生産物となります。帝政ローマの衰退や残虐非道な侵略といった逆境の中でも、オリーブ栽培が根絶やしになることはありませんでした。
幸いだったのは、中世期の前半、この地域のベネディクト派の修道士たちが優れた植物学者や薬剤師でもあったこと(キリスト教的にはオリーブの樹は無限の価値を象徴する存在)。ローマ帝国の急激な衰退によって人々の営みという営みが破壊される中、経済と農業の遺産とも言うべきオリーブ栽培が生き残ったのも、彼らの尽力に負うところが大きいのです。
丘陵地の急な勾配、田園地帯の荒廃などの不利な条件に負けず、中世期後半以降のリグーリア地方ではブドウとオリーブの栽培が盛んになりました。
西暦1000年頃の中世期の文献には、オリーブ栽培の復興について述べているものがあります。
当時はいわゆる種の淘汰が始まっており、聖なるものとしての価値が与えられた油は宗教的な儀式の中で使われるようになりました。
段々畑(ブドウやオリーブの栽培を行う台地構造の畑)の出現は、オリーブオイル生産者にとって画期的な出来事でした。温暖な地中海性気候も相まって、リグーリアの不透水性の土壌がオリーブの栽培には理想的な環境となったのです。
段々畑で生産されるオリーブ
ルネッサンス時代、オリーブオイルの生産量は飛躍的に伸びています。食用はもちろん、灯りの燃料や食品の保存、潤滑油、化粧品や医薬品、果てはウールの製造など様々な用途に消費されていました。リグーリア産オリーブオイルはやがて近隣のトスカーナ地方や北欧へと輸出されるようになりました。また、加工プロセスで出た残余物質も、石鹸の材料や暖房用燃料、lampanteと呼ばれる低品質の油、業者向けの揚げ油などに使われたのです。
比較的新しい史実からは、非加熱のものは特に健康に良く、いいことづくめのエクストラバージン・オリーブオイルが地中海地域の伝統的な美食文化に欠かせない存在であることも確認できます。
昔は木製のホイールを使ってオリーブの実を圧搾し、水平に並べた樽に詰め、屋外のセラーで保管していました。それから、荷馬車に積んだアンフォラ(両取っ手付きの壺)にオイルを移していたようです。
現在、地方の小規模生産者は例外として、オリーブの収穫と加工は機械化されています。しかしオイルそのものの品質と特性は変わりなく、昔も今も同じ風味を保っているのです。
リグーリア地方ではオリーブオイルの試食会が開かれる