標高が異なるいくつもの集落を寄せ集めて出来た自治体、ドルチェード。この中で最も大きい集落が、かつてはラ・ピアッツァ(「広場」)と呼ばれ、今では単にドルチェードと名を変えて、この自治体の中心的な町となっています。
ドルチェードは、Prino峡谷の水流とRio dei Boschiという川が合流するところで形成されました。
町としてはそんなに大きくないけれど、ドルチェードの通りや建物の中まで覗いてみると、思いのほか豊かな暮らしが根付いています。それというのも、オリーブオイルを中心とする農産物で昔から地域全体が潤っているおかげ。Prinoの谷間でオリーブ畑に囲まれたこのエリアは、扉を色とりどりにペイントした建物でも有名です。
かつては大きな農産物直売市場があった広場には、現在、ロッジア・コムナーレすなわち公営ロッジアがあります。このエレガントな建物は、17世紀初頭、ジェノヴァ共和国から独立行政に対する許可を受け、ドルチェードの町が創設された直後に建てられたものです。
その頃に始まった市場は、その後1世紀以上も続きました。当時、売り物の計量に使っていた古い秤は、今でもここで見たり触ったりできます。オイルやワインの容量を測るための白い大理石の容器とか、生地やロープなどの長さを測量する鉄の棒まで見られます。
かつては河岸であったらしい場所には、食材を干すのに使われた屋上付きの、15世紀に建てられた豪邸がいくつも残っていて、ところどころでは屋根の付いた通路で通り抜けられるようになっています。
町の反対側に抜けるには、マルタ騎士団が作った豪華な石橋を渡る必要があります。マルタ騎士団は、かの有名なテンプル騎士団の解体後に統合された騎士修道士会です。彼らは、ポルト・マウリツィオから西リグーリアやピエモンテへの経路を確保するために、この石橋の建築に出費したのだと思われます。
ドルチェードはまた、内陸の渓谷地帯やフランスに通じる重要な分岐点でもあります。ロバが荷を引いて歩いた道を復元した複合道路システムが完成した暁には馬やマウンテンバイクで走行できるようになりますから、これも楽しみですね。
町の中心部にある競技場では、イタリア広しといえども西リグーリアとピエモンテの低地帯でしか見られない、珍しいスポーツが行われます。競技の名前はpallapugno。2組のチームが野球のボールよりひとまわり大きな球を打ち合い、得点を争うゲームです。
石造りの家々が立ち並ぶ足元には、かつて小麦の粉引きに使われていた、古い水車と用水路が残っています。
町を代表する教会の、黒い石と支柱が美しいエントランスは、15世紀の建築によるもの。地域でいちばん高い鐘楼は土台がロマネスク様式で、部分的にバロック様式を取り入れています。室内はグリーンとピンクのパステルカラーがきわめて優雅なバロック様式。19世紀後半に手を入れた、ひときわ鮮やかなブルーとゴールドが美しい教会の内装も見ものです。ジェノアヴァの学校で描かれた絵画をはじめ、この教会では多くの芸術作品が見られます。
観光目的や、それこそ定住先の候補に挙げる人が年々増えている渓谷地帯と並んで、ここドルチェードにもぜひ、一度は足を運んでほしいものです。
古い歴史と独特の魅力がたっぷり詰まったドルチェードは、ぜひとも訪れたいチャーミングな町