年末年始営業のご案内
12月31日(火):18:00終了
2025年1月1日(水):全館休業
※各店舗の年末年始の営業についてはフロアガイドよりご覧下さい。

  • 2023.02.14
  • ひんやり甘い、ジェラートならではの幸せの味
水と牛乳は、すべてのアイスクリームの出発点です。あらゆるタイプのアイスクリームやシャーベットがこの2つを主な材料としている点は、今も昔も変わりません。
昔のジェノヴァでは、雪(そう「雪」です!)は非常に重要な取引き品目で、課税と販売を規制するために専用の市税の設定が必要だったほどでした。雪に対する課税は17世紀中盤から19世紀末まで、2世紀以上にもわたって実施されましたが、氷の売買がこの期間に限定されていたわけではありません。
冬の間にリグーリア地方の山から雪を集め、大きな石造りの井戸のような、地下の貯氷庫に雪を詰め込んで保管しました。厳しい時間管理と統合的な技術を使うことで、貯氷庫の中で雪が圧縮され、氷になる仕組みです。春から夏にかけて、この氷がアイスクリーム職人に売られ、果汁やシロップの希釈や冷却に用いられたのです。また、現在のアイスクリームメーカーのもとになった「カラピーニュ」用材料としても、氷は欠かせませんでした。

ジェノヴァにあるスピノラ宮国立美術館は、19世紀のジェノヴァを代表する名家のひとつ、スピノラ家のアーカイブを見学できる場所です。
ここでは、19世紀の初頭にジェノヴァで売られていたさまざまなアイスクリームについて大まかに知ることができます。スピノラ卿宛ての請求書には、レモンやストロベリーのシャーベット、ホイップクリームやチョコレート、ビターオレンジ、ダークチョコレートなど、当時のフレーバーとそれらの伝統的なレシピが書かれていて、大いに興味をそそられます。
かき氷も人気があり、当時はピーチやレモン、ストロベリーなどのフレーバーのものが作られていました。
今でも広く親しまれている、生クリームとコーヒー粉で作るジェノヴァ風のセミフレッド(半解凍状態で食べるアイスケーキ風のデザート)「パネラ」もこの時代に生まれたデザートです。
当時、アイスクリームは仮設のカフェや露天商で買うことができました。露天商たちは鐘を鳴らして人々の気を引きながら、カートを使ってあちこちでこの爽やかなデザートを販売していました。やがて、リグーリア地方のアイスクリームは国境を越えてフランスや世界各地にまで伝わったのです。
「パチューゴ」もリグーリア名物で、今やヨーロッパじゅうの人気者となった濃厚なアイスクリームです。ポルトフィーノのアイスクリーム職人のイマジネーションから生まれたものだと言われています。パチューゴとは「混乱」を表すリグーリアの方言で、いくぶんネガティブな意味もあるのですが、異なるフレーバー同士を混ぜ合わせたことからこの名前がつけられました。


パチューゴ

最近は「グルメ系アイスクリーム」、つまりイタリアの伝統的なジェラートがトレンドになりつつあるようです。
ジェラートやシャーベットの新境地としては、野菜やチーズなど料理と相性のよい食材を使って、甘いものだけでなくセイボリー系のフレーバーも作られています。
かの有名なジェノヴァのバジルも、いろんなジェラートの風味付けやシャーベットのアクセントなど、まさに多様な活躍を見せてています。


ジェラート作りの偉大なる名手ともなれば、材料のチョイスから製造プロセスの細かいディテールに至るまで、マニアックともいえるほどのこだわりを持っています。将来を見据えておいしいジェラートの基礎を忘れないことは必要不可欠ですし、リグーリア地方では毎年、ジェラートのフェスティバルや大会が開催されるという事情もあります。
リグーリア州の職人たちの創造性は、とどまるところを知りません。彼らの新しい試みの中から、なんと15世紀にまで遡る、いにしえのチーズ「プレシンスーア」を使ったフレーバーまで誕生しました。
プレシンスーアは、野菜のパイやラビオリといったリグーリアの名物料理をはじめ、多くのレシピに欠かせない材料です。
地元のジェラート名人が、ご当地自慢のハチミツで甘みをつけたプレシンスーアを使い、サフランで外観にバリエーションを持たせたクリーミーなフレーバーのジェラートを生み出しました。
リグーリア地方ならではのオリジナルフレーバーといえば、キノット味のジェラートも挙げられるでしょう。キノットは「スローフード・プレシディオ」としてスローフード協会により保護され、地域特産物リストに登録されている柑橘です。苦みと甘みのあるこの果物を主な材料に使ったグルメ系ジェラートのニューフェイスが登場しています。

特派員

  • パトリツィア・ マルゲリータ
  • 職業翻訳、通訳、教師

生まれはイタリアですが、5ヶ国語が話せる「多文化人」です。米国、ブラジル、オーストラリア、フランス、イギリスで暮らし、仕事をした経験があります。イタリアと米国の国籍を持っていますが、私自身は世界市民だと思っています。教師や翻訳の仕事をしていない時は、イタリア料理を作ったり、ハイキングをしたり、世界各地を旅行したり…これまで80カ国を旅しましたが、その数は今も増え続けています!

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