• 2024.05.21
  • ブログ リグーリア‐大理石の洗面台など
今回のブログでは、私の義理の兄にご登場願おうと思います。
彼の仕事は洗面台やシンクの販売および設置で、この分野の専門家です。
もちろんジェノヴァのものを中心に、洗面台周りの歴史や、長い間の変遷について教えてもらいました。

義兄の話によると、20世紀のジェノヴァでは浴室は裕福な家庭に限られた贅沢品で、大きな家でしか見られませんでした。当時の浴室はタイル張りが特徴で、磁器製の浴槽や洗面台が備え付けられていたものが多かったとのことです。トイレは浴室とは別の場所、多くは家の外に配置されていました。一般の家庭では、浴室は比較的狭い部屋で洗面台と浴槽を備えていたそうです。
1920年代の初頭になると、個人の衛生の重要性が高まったことで家庭に浴室が普及し、より広く快適な空間が求められるようになりました。この頃のバスルームはまだタイル張りが多かったのですが、床や壁の建設材料に鉄筋コンクリートが使われ始めました。
1920年代の浴室では、ホーロー引きの鋳鉄製バスタブと陶製のシンクが使われることが多く、モダニズムやアールデコの人気が高まりました。
当時の浴室は窓がなく十分な換気ができない場合も多かったため、清潔面や衛生面で十分とは言えませんでした。
1920年代に最も発展した点のひとつに、磁器製の洗面ボウルを木製や金属製のカウンターに組み込んだビルトイン・シンクの登場があります。このタイプのシンクは、浴室をよりスッキリ見せ、ミニマルな印象を与えました。
さらに、ガラスやステンレスなど、磁器以外の素材が使われるようになったのも1920年代でした。これらの素材のおかげで、バスルームがよりモダンで斬新な外観に仕上がりました。

1940年代の浴室はまだ非常にシンプルで、洗練されてはいませんでした。ほとんどのジェノヴァの家ではバスルームはひとつだけで、家族全員が使っていました。さらに、多くの場合、浴室は母屋とは別棟の小屋などの中にありました。
しかしながら、1940年代はバスルームのデザインにおいていくつかの画期的な発展が見られた時代でもありました。そのひとつが、鋳鉄製よりも丈夫で耐久性のあるエナメル鋼製浴槽の導入です。さらに、シンクに大理石や石など新しい素材も取り入れられるようになりました。
その結果、ジェノヴァでは大理石のカウンタートップやビルトイン式のシンクがたくさん作られるようになり、「ジェノヴァ式シンク」として全国的に知られるようになったのです。


大理石カウンターのある典型的なジェノヴァ式シンク


1960年代になるとプラスチックやラミネートなど新しい素材が誕生したことで、バスルームのインテリアデザインは大きな変化を遂げました。新素材の登場により、バスルームの創造性と柔軟性が劇的に高まったのです。
それまでの伝統的な黒と白から、黄色やグリーン、ピンクなど明るい色彩が台頭したのもこの頃です。また、洗面ボウルのデザインもより大胆になり、円形やスクエア型など斬新で独創的なシンクも登場しました。

1980年代に入ると、バスルームのデザインは機能性とテクノロジーに重点が置かれるようになります。ステンレス、強化ガラス、プラスチックなどの現代的な素材を使用することで、バスルームに革新的な要素を持たせることができるようになりました。
さらに、コンピューターや新技術が登場したことで、デザイナーたちは先進的ソフトウェアを使って建設前にバスルームの精密な図面や3Ⅾモデルを作れるようになりました。そのおかげで、より洗練された複雑な設計が可能になったのです。
色の主流は白、グレー、黒で、素材としてはステンレス、釉薬をかけた陶磁器、天然石などが好まれました。

2000年代、バスルームの進化はサスティナビリティ、つまり持続可能性への関心の高まりに大きく影響を受けます。環境に優しい素材の使用や、水やエネルギー消費量の削減が注目されるようになりました。
さらに、グローバル化と輸入の増加に伴い、海外から輸入されたバスルーム用品がますます一般的になりました。例えば、天然石のシンクは美しさと耐久性に富んでいることから人気を博しました。
陶器や大理石などの伝統的な素材も再注目され、モダンなデザインに生まれ変わり、エレガントで洗練された洗面ボウルやバスルームのカウンターを生み出す上で一役買っています。洗面ボウルの形はますます複雑かつ多様になり、デザインの選択肢も広がっているようです。
日本の洗面台は、どうでしょうか? こちらも興味が尽きません。

特派員

  • パトリツィア・ マルゲリータ
  • 職業翻訳、通訳、教師

生まれはイタリアですが、5ヶ国語が話せる「多文化人」です。米国、ブラジル、オーストラリア、フランス、イギリスで暮らし、仕事をした経験があります。イタリアと米国の国籍を持っていますが、私自身は世界市民だと思っています。教師や翻訳の仕事をしていない時は、イタリア料理を作ったり、ハイキングをしたり、世界各地を旅行したり…これまで80カ国を旅しましたが、その数は今も増え続けています!

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