アメリカやカナダでは、毎年2月は「黒人歴史月間(Black History Month)」です。数週間に渡り、アフリカ系アメリカ人たちがこれらの国々の発展に貢献してきた歴史を振り返り、功績を称えるのです。
黒人歴史月間は、1926年にアメリカで制定されたニグロ歴史週間が起源です。その後、アメリカ合衆国建国200周年を迎えた1976年に、ジェラルド・R・フォード大統領により1週間から1か月に延長されて黒人歴史月間となりました。
この重要な月間は他のアングロサクソン諸国にも存在しますが、国によって月が異なり、イギリスやアイルランドでは10月に制定されています。
黒人歴史月間は、アメリカでは連邦政府の法律によって公式に認められています。先ほども述べた通り、ひと月に渡ってアフリカ系アメリカ人の文化に敬意を払うとともに、彼らの文化が近代アメリカの形成に果たした役割を公式に称える機会でもあるのです。
アメリカ合衆国第16代大統領エイブラハム・リンカーンは奴隷解放宣言(1863年)を提唱・署名し、アメリカ連合国(南部諸州の連合国家)の奴隷解放を宣言しました。
「黒人史の父」として知られる歴史家のカーター・G・ウッドソンは、アメリカ全土の人々がアフリカ系アメリカ人の歴史を学ぶことを推奨するために「ニグロ歴史週間」を提唱しました。歴史週間は、リンカーン大統領と奴隷制廃止論を唱えた政治家で活動家でもあったフレデリック・ダグラスの誕生月の2月に制定され、アフリカ系アメリカ人学生の祝典として全米に広まっていきました。
ニグロ歴史週間の期間中、ウッドソンは、ようやく田舎でも黒人学校で生徒たちに語り掛けることが許されるようになったアフリカ系アメリカ人のスピーチや写真を掲載した新聞や雑誌を配布。そして、出会った若者たちに「歴史を持たない民族は、世界の目には『取るに足りない存在』と映り、絶滅の危機にさらされるだろう」という考えを広めました。
1920年代後半にニグロ歴史週間が制定されてから50年後、ケント州立大学の学生と教員たちはこの週間を黒人歴史月間へと拡大することを提案し、1976年に正式に連邦政府から認められました。
この月間には集会や公開会議、カンファレンスなどが開催されるだけでなく、ソーシャルネットワークでの活動、主な出版物についての考察、そして文化財団やジャーナリスト、歴史家、市民による絶え間ない情報活動も展開されます。こうした活動こそが黒人歴史月間の本義ではありますが、黒人文学の新しい作家を見つけたり、公民権活動に尽力する企業や団体を支援したり、あるいは単に多くの人が表面的にしか学ばない歴史の一端について学び、認識を深める、といった個人的な体験をする期間でもあります。黒人歴史月間は、子どもたちを含む全ての人に関係しているのです。
テキサス州会議事堂を囲む庭園の緑のなかに、オースティンのアフリカ系アメリカ人の功績を称える堂々たる記念碑が建てられています。16世紀から現在までのテキサスにおける彼らの歴史を表すこの碑には、テキサス革命の兵士であったヘンドリック・アーノルドや公民権運動の指導者バーバラ・ジョーダンの姿もあります。
記念碑の中心部分は、アフリカ系アメリカ人が奴隷から解放された1865年6月19日を表現しています。
オースティンにある、文化と系譜をテーマにしたジョージ・ワシントン・カーバー博物館(George Washington Carver Museum)では、2月中に様々なイベントが開催されます。
アフリカ系アメリカ人の有名どころから新進気鋭までのダンサーやミュージシャン、アーティスト、作家たちをテーマにしたカルチャーツアーやワークショップが数多く開催されるほか、ひと月に渡って彼らの作品が紹介されます。