一見、山に囲まれた内陸の国キルギスと海に囲まれた島国の日本は正反対のように見えますが、両国でしばらく過ごすと、「嵐の前の静けさ」ということわざや口笛にまつわる迷信、祖母の忠告に対する敬意などの共通点があることに気が付きます。
キルギスでも日本でも、家の中で口笛を吹くことは厳禁です。キルギスでは家の中で口笛を吹くと悪魔が来る、または貧乏になると信じられています。日本では、子どもが室内で口笛を吹くと大人たちが「やめなさい、蛇が来るよ」とたしなめます。何が起こるとされているかは異なりますが、「口笛は単なる音ではなく、何かを呼び寄せる行為」という本質的な考え方は共通しています。
これは単に子どもたちを室内でおとなしくさせるための教えなのでしょうか? それとも、音には力が宿るという古来の考えが受け継がれているのでしょうか? どちらの国でも、祈りや詠唱などの意志を持って発せられた言葉は人を癒やし、守る力があると信じられています。しかし、不用意にたてる音には危険が潜んでいるのです。
キルギスで家の敷居越しに誰かにお金や贈り物を渡してみてください。おそらく、相手に眉をひそめられたり、厳しい言葉をかけられたりすることでしょう。戸口は精霊が宿る神聖な場所なので、敷居をまたいで交わした約束は長続きしないと言われています。
より控え目な形ではありますが、日本にも敷居にまつわる禁忌があります。家の入口である玄関は外との境目。ここでは靴を脱ぎ、大声を出したり駆け込んだりせずに、心を落ち着かせます。なぜなら、玄関とは外界からプライベート空間、あるいは神聖な場所へと切り替わる場だからです。
どちらの文化においても、外と内を隔てる境界線には深い意味があります。家の入口とは、外界と家庭を隔てる境界なのです。
両国の最大の共通点は、見えない存在への敬意です。先祖の霊や精霊、日本における神に対する信仰は、現在でも深く根付いています。
キルギスでは、夢は死者からの警告とされています。また、部屋で寒気を感じるのは誰かを弔うのを忘れているサインだとされています。日本にも同様の考えがあり、特に先祖の霊が帰ってくるとされるお盆には、玄関の扉を開けて提灯を灯し、食べ物を供える風習があります。
どちらの国でも、亡くなった人はどこか遠くに行ってしまうのではなく、ただ生前に比べて静かになるだけなのです。
また、日本の家はとても清潔に保たれているのをご存知でしょうか? 衛生的な理由だけでなく、家の清潔さには精神的な意味があり、特に神道では穢れが不運を招くとされています。
キルギスでもまた、清浄さが重要視されています。出産や結婚、葬儀などの大きなイベントの前には家を掃除し、ジュニパー(Archa)を焚いて清めますし、客人には清潔なタオルと皿を用意します。精神的な汚れと物理的な汚れは同一のものと考えられているのです。
日本では、「死」と同じ発音だからという理由で数字の4が忌避されており、エレベーターの階数表示に4を使用しない建物が存在します。また、部屋番号に4を使用しないようにしている病院もあります。キルギスでは特定の数字に対して敏感になることはありませんが、鳥の行動が何かを予兆する存在と考えられています。例えば、カラスが家の近くで鳴くのはトラブルが近づいている前触れ、ハトが平和に座り込んでいる姿は来客があるサインと解釈されます。
両国とも、まるで自然が語りかけてくるかのように、注意深く周囲を観察しています。もしかすると、実際に自然が私たちに何かを伝えようとしているのかもしれません。
こうした共通点を「どの歴史ある民族も未知なるものに対して恐れを抱くものだ」と言って、単なる偶然で片付けるのは簡単です。しかし、日本とキルギスが共通する考えを持つ背景には、より深い理由があるように思います。
日本もキルギスも山と結びついた長い歴史があります。山々は崇拝の対象であると同時に、前触れなく脅威をもたらす存在でもありました。ほかにも、文字ではなく口伝えで暮らしの知恵を受け継いできましたし、世界は目に見える存在以外にも、霊的で感情的、神秘的な側面もあると理解しているという点が共通しています。
ですので、日本の奈良のおばあちゃんが夜に爪を切った孫を叱り、キルギスのナリン(Naryn)のおばあちゃんも同様に孫を叱るのであれば、これはもう単なる迷信ではないのかもしれません。彼女たちが先祖から受け継いだ生活の知恵なのでしょう。
- 2025.06.23
- 山と海を越えて―キルギスと日本に共通する迷信