私たちが毎年行く収穫祭(ワイン祭り)は、サンタ・アナ農園(ワイナリー)で行われます。この農園は非常に美しく、持ち主となった様々な人を魅了してきました。19世紀には、ルイス王が恋に落ちたローザという女優にこの土地を捧げます。20世紀になり、ドイツの男爵が奥様と二人の間に出来た7人の子供たちと幸せな生活を送っていたのですが、1974年の革命によりドイツに戻る事になります。しかし、彼らの忠実な友人がこの場所を守っていたおかげで、現在は男爵の娘のアンと結婚した英国人ジェームズが譲り受け、立派な農園として蘇らせました。
そこで、民族音楽演奏をバックに友達と楽しく料理とワインを頂き、夜は火の周りでダンス。ため息が漏れるほど美しいサンタ・アナ農園での一時は、私にとって一年に一回の贅沢です。
さて、ポルトガルはワインの長い歴史を持ち、なんと2000年以上前のフェニキア人の時代からワイン文化があったとされています。それから何百年が経過し15世紀の大航海時代に、遥か遠い海を、船の上で何月も揺すぶられたワインが日本に持ち込まれます。
当初ワインは、日本を訪れた宣教師のルイス・フロイスが著書「日本史」の中で、ミサ用としてか、大人用の薬として用いられていたと書かれており、方薬としてのみ使用されていた事が伺えます。それが次第に日本でも馴染みのあるものになり、「チンタ酒」として将軍の間で親しまれるようになります。「チンタ」の由来は、ポルトガル語の「ヴィーニョ・ティント(赤ワイン)」の赤を指す「ティント」からきていると言われていますが、実はワイナリーを意味する「キンタ」から派生したとも聞いたことがあります。チンタ酒は、珍しい酒として「珍陀酒」と書き表されました。
ヨーロッパからの輸入品であるチンタ酒を、当時の将軍たちはどういう気持ちで飲んだのでしょう?透明な日本酒とは違って真っ赤ですし、宣教師に「キリストの血です」なんて説明されたのでしょうか?また、手に入りにくい品なので、大事に少しずつ飲んでいたとしたらきっと最後の方は酸化しまくって、お酢状のドリンクと化していたと思います。貴重品だけあって、「いや、まさかまずい訳は無い。」と言い聞かせて飲んでいるのを想像すると、気の毒ですが結構笑えます。
今年は、我々も地元の友達と一緒にワインを作る事にしました。みんなの庭に育ったぶどうを持ち寄って作る予定が、最終的にはうちに大量に実ったぶどうを使うことになりました。
まずはぶどうの房を水で洗い、実を一つずつ果梗から外しバケツにためて行きます。座ってできる作業ですし、おしゃべりもできるので、これは大人の仕事です。次に、ぶどうを一つにまとめ、今度は子供達に踏んで潰してもらいます。丁度ベビーバスがあったので、私たちはそれを使いました。これだと大きくて潰しやすいのと、ぶどう汁をすくわずに、排水口の部分から出すことができるので便利です。後は、発酵させて約1ヶ月後に瓶に詰めて終わり。
我々のぶどう酒もそろそろ解禁日です。