広島と長崎に落ちた原爆のことを認知してない外国で育った子供達に、その事実と原爆の恐ろしさ、そして戦争の悲惨さを理解してもらうには、素晴らしい提案だと思いました。
ただし、スライドの中に一枚だけ、少年の背中が焼けただれている写真があることから、特別授業は義務付けられたものではありませんでした。
実は、私の娘は非常に怖がりで、ニュースのトーンを聞くだけでも震え上がるような性格をしています。そんな娘に、果たして刺激的なイメージを与えて良いものか悩みました。講和の内容を確認すると、核のない世界を目指している団体だけに、「戦争は怖いもの」という認識を持ってもらいたいとの返事。
娘は丁度「平和」について勉強している最中ですし、原爆について直接話を聞けるまたとない機会ですので、刺激の強い内容や画像が出た際は、顔を伏せるなど本人に判断を任せることにし、講和を受けさせることにしました。
結果、部屋が明るかったせいかスライドの写真がぼやけ、問題となった写真に彼女は全く気づくことなく、講和が終えたのでした。
後日、ある父兄が、
「全然怖くなかった。もっと激しいのを期待していたのに。」と。
どうもその方の二人の息子さんが、おもちゃの銃で遊んだり、戦争もののゲームを楽しんだり、爆破系の映像を製作ばかりしているので、戦争の本当の恐ろしさを学んでもらい、二人の「戦争」離れを願っていたようなのです。
その時、ふと思ったのですが、戦争の悲劇・恐怖を教える事で、「NO! WAR!」精神の人間は生まれるのでしょうか。
戦争の悲惨さを知っていても、ペイントボールの銃の打ち合いはエキサイティングでしょうし、テリトリーを増やしていく戦争ゲームは夢中になります。逆に、戦争をリアルに再現した映画の製作者が、戦争のない世界を意識して映画製作しているとは思えません。
もともと痛みを経験している人なら誰でも、争い事はあってはならないと理解できるはずだと思うのです。
要するに、血生臭い内容を見聞きするよりも、争いによって微笑むことすら忘れてしまった子供を知る方が、ズンと心に訴えてくるものを私は感じます。
講和の被爆体験記にもありました。防空壕を出ると校庭が倒れた人で埋まっていたこと。妹が死んで、翌日は弟が死んで、その翌日は母親が死んで、次は自分だと恐れた少年のこと。この少年少女がどういう気持ちだったかを想像するだけで、心が締め付けられます。
きっと人は、守るべき対象がいることで、本当に戦争があってはならないと感じるのではないでしょうか。自分の大切な人が不幸な形でこの世を去ることへの恐怖が、争い事を思いとどまらせるのではないでしょうか。
だからこそ、私たちは人を愛し、家族を大切にし、隣人を敬う気持ちを忘れてはいけないのだと思います。差別なく誰をも思いやり、リスペクトできることが平和の世界へと導くのでしょう。