町の中心の教会でミサが行われ、その後、パンが配られます。
約1700年前、この地域で干ばつが続き、ろくな穀物が育ちませんでした。農作民たちは守護聖人である聖イジドロに祈りをささげ、豊作になれば、聖の日にお祭りをし、来場した人々にパンを配ると誓をたてたのです。
その年、幸いにも豊作になり、人々は約束通り毎年祭りを開催し、パンを配るようになりました。
祭りで教会の前でパンを焼く男性たちと、生地をこねる女性
以前は、穀物を乗せた馬車が教会の周りを3周するしきたりがありましたが、今は教会の敷地に大きなステージが設営され、そこで大々的にミサが行われます。ミサを終えると、教会の鐘が3回鳴り、それを合図にパンが配られます。
現在では、各家庭が事前に預けておいたパン袋にパンが入れられた状態で、渡されます。パン袋とは大体、手作りで、「Pão (パン)」と刺繍が施されている布製巾着袋です。ポルトガルでは昔からこの巾着袋にその日のパンを入れておくのが風習で、パン屋に行く時もこの袋を持って行き、その中にパンを入れてもらいます。
パン袋
パンの売店前でチョリソ入りのパンにかぶりつく
マフラ市では、昔からパンが有名でした。
今では Pão de Mafra パン・デ・マフラ(マフラのパン)として知られる、マフラ市で生産される郷土パンは、地域の良好な農業条件と社会文化的背景に関連しています。
この辺りは、何世紀にもわたって肥沃な耕地のおかげで小麦の栽培に適しており、それ以外にも、野菜、果物、家畜などといった食に恵まれ、リスボンとその周辺地域に供給していました。 また、海に近いため、風が強い地域特有の気候条件を利用して風車が多く作られ、風車を利用した石臼の製粉機で小麦粉の生産をもたらしました。
パン生地を大事にこねる女性の手、石積窯を作り、その中でパンを焼く男性の技術。こうしたパン作りは基本的にこの地域の村々における家庭内での活動であり、そのノウハウは、母親や父親から子供たちに受け継がれていました。
こうした要素全てが、後にパン・デ・マフラとなるものの誕生に不可欠なのです。
各家庭で作っていた自家製パンだったものが、次第にパン・デ・マフラとして、リスボンで評判になり、今やどのパン屋でもパン・デ・マフラ(あるいは、Pão Saloio パン・サロイオ(田舎パン)として売られています。
パン・デ・マフラは、素朴な味と見た目のパンです。薪で焼いているため、外側はところどころに焦げ目があり固いのですが、中身はもっちりしているのが特徴です。材料は、他のパンと変わらないのですが、製菓中に長時間発酵するのがポイントで、パンのもちもち感を出しているのだと思います。
マフラの風車 (Wikipediaより)
パン・デ・マフラ (Wikipediaより)
私が住むエリアでは、いまだに昔ながらの製法でパンを焼いています。さすがに今では風車の石臼でひいた小麦粉は使用しませんが、家に窯があるのは当たり前で、典型的なポルトガル家庭であれば、毎日パンが焼かれています。
うちの台所にあるパン窯。一度も成功したためしがない。経験が足りないか?!