普段なら、日も出てない時間帯に起きるのはNGの寝坊助な私だが、この日は違った。動物的な本能が働いたのか、不快感で目覚めたと同時に揺れが始まった。
ポルトガルにはトータルで30年弱住んでいるが、ここまで大きな揺れを感じたのは初めてだと思う。我々の家は200年以上建ち続けているゆえ倒れるまいと思ったが、楽器博物館状態のスタジオ部屋で寝ていたモモ(夫)の上に、太鼓が落ちてはいないかが心配だった。
揺れは3秒くらい続いただろうか? 静かだった。
あんなに心がわさわさした3秒も初めてだったと思う。
それをよそに、揺れが収まると、
「おーい、みんな。感じたかー!」
なんなら少し楽しんでいるかの口調で我々の方にやってきた。
「おぅ、大丈夫かぁ」と、子供部屋に。月曜日の早朝なのだから寝かせといて欲しいのに。
まあ、そんな彼も、揺れている間は声一つ出さなかったのだから、不安だったのだと思う。
数分後、スマホがピコピコ鳴り始め、近い友達や家族からのメッセージ、ソーシャルメディアでも人々の投稿で賑やかだった。
リスボンの町では犬が一斉に吠え、それで起こされた人もいたようだ。
地震のマグニチュードは5.3と発表。
ポルトガル海洋大気研究所(IPMA)によると、震源地はリスボンの南南西84キロの北大西洋、深さ21km。津波の影響はなし。ソーシャルメディアでは、ポルト、スペイン、モロッコまで揺れが感じられたとの投稿があった。その後、ポルトガルでは少なくとも9回の余震(いずれも軽度)が報告された。
<欧州地中海地震学センター>より
ポルトガルは、地震が非常に活発な地域であることをご存じないかもしれない。ポルトガル本土の南の沖合地域はユーラシアプレートとアフリカプレートの間に挟まれており、これがポルトガルのほとんどの地震の原因となっています。また、ポルトガル本土の下には単独でもかなり破壊的な断層が多数あります。
<Researchgate.net>より
揺れがあまり感じられないというだけで、実はかなり頻繁に地震は起きているのです。
ポルトガル海洋大気研究所(IPMA)のサイトに行くと、地震状況が分かります。
左下のリストは、ここ最近の観測。右下の図は、比較的大きい揺れの記録です。
<IPMA>より
<earthquaketrack.com>より
1755年にリスボンは壊滅的な地震に見舞われ、リスボンの街全体がほぼ崩壊しました。その地震の規模はマグニチュード8.5以上と推定されています。恐ろしいことに、その日は諸聖人の日、つまり教会の聖人を称えるキリスト教の祝日で、教会の中にいたリスボンの人々の大半が、崩れ落ちる屋根や壁の下敷きとなりました。燃えるろうそくから火が出始め、それが大火事に発展して街中で何時間も燃え続けたのです。生き残った人々は安全のために川沿いの波止場に駆けつけるのですが、そこで水が勢いよく引き、難破船や船の積み荷が散らばった泥の平原が現れるのを目にします。その約40分後、津波が港全体と下町を飲み込みました。
この大惨事の影響を受けた都市はリスボンだけではなく、特にアルガルヴェでは甚大な被害があり、マデイラ島やスペインまでその影響を受けました。
地震は非常に強く、その揺れはフィンランドや北アフリカに至るまでヨーロッパ全土に及んだそうです。一部の情報源によると、グリーンランドやカリブ海でも感じられたといいます。また、2015年に発見された、ブラジル当局から送られた手紙には、巨大な波による被害と破壊について記されており、津波がブラジルの海岸にまで到達された可能性があったことが分かります。
この大震災により、リスボンの建物の85%が破壊されました。有名な宮殿や図書館、病院やオペラハウス、ヴァスコ・ダ・ガマや他の初期の航海士による探検の詳細な歴史記録も全て消失しました。
時々、リスボンが以前どんな様子だったかを想像したくなることがあります。街がほとんど破壊されていなかったら、どうなっていたでしょうか。
ここ数年、リスボンはどんどん変化を遂げ、今や世界中からの多くの観光客で溢れかえっています。もしも18世紀にリスボンが再建されていなければ、ローマやアテネのように、歴史的に人気のある古代の観光地だったでしょうか。それとも地震の影響をほとんど受けなかったアルファマ地区のように、細い迷路のような街並みが広がっていたでしょうか。
いずれの場合も、ポルトガルに注ぐ光は常に柔らかく、哀愁漂うリスボンのイメージは変化ないのではと思います。