このパンデミックという言葉がでると必ずと言っていいほど引き合いに出されるのが“スペイン風邪”です。“エボラ出血熱”や“香港風邪”等発生源の土地の名前が疾病名に使われることがあったので、多くの人々がスペインから始まって世界に広がったインフルエンザだと考えていてもおかしくありません。
しかしご当地在住の身としてはこの汚名?を晴らすべくご説明させていただくと、発生源はスペインではないのです。 この件についてはフランス説、アメリカ合衆国説、中国説といまだ定かではありませんが少なくともスペイン起源だという仮説すら立てられていません。
実は、この疫病が大流行した20世紀初頭は欧州大戦の真っ只中、兵士たちの戦意喪失を恐れて各国が厳しい情報統制を行っていて正しく感染状況が発表されていませんでした。ところが中立を守り参戦しなかったスペインは他国のような検閲もせず、当時の国王アルフォンソ13世の罹患(*)を始めとして感染状況が刻々と発表されて、あたかもスペインが発生源のような印象を国際社会に与えてしまい、いまだに”スペイン風邪“と呼ばれ続けている次第です。(*)実は猩紅熱であったのと説も取りざたされています。
この”スペイン風邪“感染拡大の真っ最中、スペイン北部のブルゴス県では自粛要請にも従わずに、村祭りやら宴会騒ぎに明け暮れていた県民の問題意識の低さにしびれを切らしたブルゴス県知事は県公報号外を発行してさらなる自粛をうながしました。 こちらが1918年10月4日ブルゴス県知事アンドレス・アロンソ・ロペス署名の公報です。
ブルゴス県公報号外
そこで警告されているのは『・・・ la infección se propaga por las gotitas de saliva que despide el que habla, tose・・・ 話したり咳をしたりする際に吐き出された唾液の飛沫から感染する、・・・ Que se abstengan, en consecuencia, de permanecer en locales cerrados, mal ventilados, donde se reúne mucha gente , como tabernas, cafés etc ・・・ 従って、閉鎖した空間、換気の悪い場所、多くの人が集まる所、例えば居酒屋やカフェなどに居ることは控えるべきである。』 今から100年前のいわゆる三密回避要請です。
この臨時公報には県内の人口1200人のLos Balvases村で800人が感染したとの集団感染例が紹介されています。この村の若者達が 隣村 Villaquirán の集まりに参加して戻った後の村祭りでクラスターが発生したとのことでした。
すでにひと月になるマドリードの自宅待機生活ですが、命をかけて戦っている医療関係の皆様をはじめとして、電気、ガス、水道、ゴミの収集も滞りなく、週に一度の必需品買い出しも問題なく行える、この生活を支えてくださっている多くの人々に感謝しつつ、外出を控え出来る限り感染しない、させない日々を送っております。