「ねぇねぇ、日本には通りの名前が無いって本当?」
「会う約束をする時、どうするの?」
「行き先を説明する時は、どうするの?」
「迷子になったら、どうするの?」
そうですねぇ、確かに首都圏の主要通りには名前があるけれど、郊外の住宅地には数字の番地のみ、、、
通りの名前無しで、どうやっていたのだろう?
イタリアで通りの名前を見ながら歩くと由来や歴史を勉強させられっぱなしで、たったそれだけで観光が終わってしまいそうです。
ミラノでも面白い名前の通りを見つけてから由来を調べると、興味深いミラノの歴史が浮かび上がってきて楽しめるものです。
ブレラ地区を散歩すると、Via Fiori Chiari(淡色の花通り)とVia Fiori Oscuri(暗色の花通り)という対照的な名前の通りが並んでいます。この二つの通りは、名前だけではなくてまさに歴史が対照的であることを物語っている事も面白いです。この二つの通りを分け隔てる四つ角にたどり着いてから右を見て左を見て、そして思うのです。右に曲がるか左に曲がるかで人生が決まるかのような運命的なポイントだと。淡色の花通りには女学校の寮、暗色の花通りには娼館があったと言われています。さて、私には暗色の花通りに住む知り合いがいたのですが(勿論、娼婦ではありませんよ)、そこが娼館だった痕跡は見当たらなかった記憶があります。
が、ブレラ地区ではなくて別の地区に住む知り合いが購入したマンションは、もともと高級娼館だったという建物で、なるほどと思わされた点がいくつかあったことを覚えています。
大通り沿いに建っている数々の建物の一つだったのですが、よくよく観察すると大通り沿いに面して玄関があるのは同じですが、玄関前には木が生い茂っていました。さらには、その建物だけ通りから少々引っ込んだ位置に建てられていました。
中に入ると大きな空間が広がり、床は贅沢な大理石が敷き詰められていた記憶があります。
最も興味深かった点は、知り合いの住まいに招かれて入ると床の贅沢な大理石に圧倒されるのですが、さらには大通り沿いに面した窓際に沿って長い廊下が通っていて、廊下から各小部屋に分かれて入る仕組みになっていることでした。つまり、遊女たちが各窓枠に一人ずつ立っていたことが伺えるのです。そして、お客さんを招き入れる小部屋が廊下沿いに並んでいるわけです。勿論、私の知り合いは遊女でなければ遊郭として使っているわけでもありませんので、キッチン、バスルーム、寝室といったように各部屋を普通の生活空間に作り変えて使っていましたよ。
さて、ブレラ通りの二つの通りに話を戻すと、淡色の花通りには女学生の寮があったのは本当でしょうが、実は、この通りにも娼館があったようです。しかも、その建物はいまだに無傷で残っている、という記録を見つけました。そこの最後の娼婦は、ワンダちゃんだとか。料金まで載っている彼女の顔写真をネット上に見つけることができました。
四つ角を挟んで、淡色の花通りには女学生の寮、暗色の花通りの娼館という謂れは、ロマンスのエッセンスを加えたかったイタリア人の細工だったのかもしれません。