同じイタリアの中でも、ミラノは北部イタリアの代表都市として商業的で最先端を行き、忙しない都市です。そんな活発さのせいなのか、日本人がイメージする典型的なイタリアのイメージとは少々違う所だとも言われています。
が、ミラノはやはりイタリア。日本から到着してまず目の当たりにする街並みは勿論、人の対応、観光客のもてなしの仕方など、見るものなんでも違っていて新鮮に満ちた体験であることは間違いありません。
そんな数々の相違点に私たちはまごつかされたり、恥をかかされたり、苦笑の経験の後に、今度は共通点の多さを発見し始めるものなのではないのでしょうか。
例えば、西洋人といえどもイタリア人には小柄な人が多いこと。それ故に、靴や洋服も日本人も着られるサイズ。
四季が日本のそれとよく似ているので、イタリア人のクローゼットには夏服と冬服の揃えは勿論、さらには春や秋用の中間服の揃えも欠かせないのは全くもって同じ。
四季が似ていることによって、食べ物の旬への関心が非常に高いことも同じですが、旬に限らず1日において充実した食生活を求めることも同じ。
それぞれの季節が違う故に、食べ物だけでなく四季を通して自然の色の移り変わりを愛でる心も同じでしょうし、同時に色々な物の香りへの関心も高いところも似ているでしょう。
たったこれだけの共通点。それでも十分ではありませんか?
ところで、近年デジタル技術の発達のおかげで、様々な国でのテーマパークやイベントには、主に視覚効果を狙ったアミューズメントが流行っているようです。勿論ミラノでも。その代表的な例の一つに、VR。
ゴッホやモネの世界に入り込んで、まるで彼らが生存していた時代にタイムスリップしたかのような、言い換えればまるで彼らの絵画の世界が現実の風景となり、そこに居合わせることができるかのような体験がここ数ヶ月の目玉商品としてミラノで開催されています。
そんな特殊効果を使った様々な催しが次々と企画されています。が、微笑ましいのが、どこか家庭風な手作り風な面を残したオーガナイズの仕方。
例えば、VR会場への道のり。準備の工事が終わらなかったのか、予算不足で中断したのか、瓦礫が積まれて作業中断のところを衝立で隠すかのように覆った道のり。直射日光や雨風に晒されながら何キロも歩かされたその先には、放置されて不気味な雰囲気を醸し出した建物沿いや不使用になって放置された線路が現れ、お粗末とはいえども案内が無かったら、本当にこの先にあの心待ちにしていたVR体験の会場かあるのかどうか疑問を持ってしまうくらい廃れた場所が現れます。どちらかというと、夜の肝試し大会にもってこいの場所柄。
日本であれば、パーキングの配備もされているだろうし、会場までの道路も舗装され、華やかな広告や宣伝で飾られ、会場まで歩きながら期待感がいっぱいに膨らむ工夫が凝らされるだろうと思うとこの有様には苦笑してしまうのですが、非現実的でありながら完璧なVRの体験と、未完成で準備不足の不備部分がいっぱいが残っている現実が見事な対照を成していて、そのギャップが実は一番面白い体験。