マントヴァは、北部イタリアのロンバルディア州南東に位置する世界遺産に登録された町なのです。町は12世紀ごろに人工的に作られた3つ湖と接して、3つの橋がかかっています。たったの4万人ほどの人口ですが、そうとは感じさせない存在感を持っています。
それは、約1300年から1700年の400年にも渡ってマントヴァを支配したゴンザーガ家のお陰なのです。ゴンザーガ家は、マントヴァと30キロ離れたサッビオネータをユートピアの街として仕上げました。その功績は今でも生きているのです。
ゴンザーガ家の衰退は、歴史上によくあるように戦い破れて壊滅的に廃れたと言う訳でもなさそうで、最後の当主に子供が居なかったので、投手の死後、ミラノ公国に併合されたと言う経過を辿ったのです。その影響なのでしょうか、ゴンザーガ家の宮殿Palazzo Ducaleを始め、テ宮殿Palazzo del teなどは非常に良い状態で保存されていて、特にフレスコ画は必見と言えるくらいに見応えがあります。ゴンザーガ 家は都市計画にも熱を入れたので、散策をしているとその足跡に遭遇します。
ところでこのテ宮殿は、イタリア語でお茶の意味のTeからきているのかと思ったらそうではなくて、テ宮殿を建設した場所は、人口的に作られた湖に浮かぶ島の名前Tejetoを短くしてTeと呼んだのだそうな。つまり冒頭に述べた人工湖は、元々4つあったのですが何らかの理由で埋立地になりました。
テ宮殿は、ゴンザーガ家の何代目かの1500年前半に生存したフェデリーコ2世が、表向きは避暑地 兼 来賓用の宿泊施設として建設させましたが、実は彼の愛人用だったとか。
何を隠そう、テ宮殿の下調べを皆無で、私は見学を始めたのです。
ふむふむ、フェデリーコ2世が画家 兼 建築家のジュリオ ロマーノの才能と力量を認め、建築と都市計画を一任した、とこんな感じでテ宮殿見学の前置き説明が始まったのですが、そこから一気にジュリオ ロマーノのマニエリスムと呼ばれる手法の世界に入って行きます。
ところで、こんな広間は世界で一つと思う奇抜な部屋が最初に待ち受けています。壁に描かれているのが馬ばかりの「馬の広間」。大事な式典を行った広間だそうで、サラブレッドに情熱を燃やしたことは察しますが、他では見られない変わった趣向の広間です。
さて、メインの「巨人の間」ですが、何しろ下調べなしで始めた宮殿見学でしたので尚更衝撃的でした。壁の下から天井までの部屋全体が一つの絵になっていて、それが動的でエネルギッシュな絵なので、部屋に飲み込まれた感じがします。
さぁ、ポテンシャルなマントヴァの訪問は、始まったばかり。マントヴァの魅力については次回もお楽しみに。