と言うのは、街にはクリスマスツリーが立ち、通りにはイルミネーションが灯り始めますが、日本の年末のように、時間に追われる感じや、気持ちが前のめりになる空気は無くて、強いて言えば、クリスマスのプレゼント探しで困りながら少々焦るぐらいかしら。クリスマスのプレゼント探しを始めると、相手とこの1年間どれくらい密接に過ごしたかを認識させられます。頻繁に会っていた人には、贈り物の名案が浮かんだり、欲しがっていた物を思い出したりしますが、逆に会っていなかった人には、どの品物を手に取ってもハズレのような気がしてくるので、疎遠にしていた罰のように思うのは私だけ?
2025年のミラノは、例年と少し違う雰囲気をまとっていて、街全体が2026年に控えた冬季オリンピック・パラリンピックを意識しているのを感じます。その空気は意外な物からも感じ取れて、それは何かと言うと、街に立つ数々のクリスマスツリー。
ドゥオーモ広場に立つツリーは、高さ29メートルと聞くと圧倒されるのですが、実際に目の前にすると割と落ち着いた印象のツリー。白を基調にした装飾とやわらかく灯る光は、華やかさや自己主張をするというより、大聖堂と静かに並んで「見てほしい」というより「ここにあります」と言っているような佇まい。
ツリーの周囲には、環境に配慮した仕組みやスポーツをテーマにした展示が用意されていて、オリンピックを意識しているのが伝わってきます。未来のことを考えながら今を祝おう、と言うのがミラノらしい姿勢。
ドゥオーモから少し歩いたガッレリア・ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世では、赤い光だけで構成されたツリーが目に入ってきます。歴史ある建物の中に、かなり現代的な表現物が置かれていて違和感を覚えます。しばらく見ていてもその違和感が消えていかないので、それが、あぁミラノらしい、と思い出す感じ。無理に調和させずに違いをそのまま置いておく、ミラノは、そういう選択をする街。
他の場所でも、小さなツリーや、寄付と連動したもの、リサイクル素材で作られたものなど、さまざまな魅力的なツリーを見かけます。ですが、どれも方向性が違うのです。街全体が、多様な考え方をそのまま並べているように見えている所も面白い。
日本では、クリスマスは楽しいイベントとして過ごすことが多く、写真を撮り、音楽を流し、素敵なレストランで食事をし、気分を盛り上げています。一方ミラノでは、祝う気持ちの中に、社会や未来について考える視線が自然に混ざっていて、派手さは控えめでもツリーの1つ1つが何かを語っているように感じます。
2025年のミラノのクリスマスツリーは、街が少し先の時間を見つめていることを静かに伝えてきます。その空気の中で見るクリスマスツリーは、祝祭の創造物というよりは街の小さな独り言のようにも感じられて、ツリー巡りが面白いです。
