• 2026.02.12
  • 特別ではない遺産
2025年12月、イタリア料理が正式にユネスコの人類無形文化遺産に登録されました。その知らせを、私はミラノでの生活の中で聞いていました。大きな節目のはずなのに、街は驚くほど静かで、いつもと変わらないリズムで日常が流れているようにも感じられました。

ミラノは経済と流行の都市だと言われます。確かにスピード感はあり、新しいものも次々に生まれますが、食に関しては意外なほど保守的です。仕事帰りに立ち寄る市場やスーパーには、派手さよりも習慣や伝統を感じさせる食材が並び、新しい味覚に挑戦するレシピ本よりも、家庭の中で受け継がれてきたやり方が今も根強く残っていると感じます。
スーパーの野菜売り場を見渡すと、今がどんな季節なのか、その年の天候はどうだったのか、畑の様子までが自然と伝わってきます。市場に並ぶ野菜の種類が、その日の献立を静かに決めていきます。料理は自己表現というよりも、環境との折り合いのつけ方のようなものです。
ビジネスに多忙なミラネーゼの食卓は、概して特別なものはありません。時間がない日は簡単に、余裕がある日は少しだけ丁寧に。夏の暑い日には、火を使わずに食べられる調理済みのパスタや肉、魚料理を惣菜コーナーで買い揃え、それらがそのままテーブルに並ぶことも珍しくありません。その中には、宗教行事や季節、暦に結びついた料理が自然に混ざっていて、伝統が意識されることなく、今も生活の中で息づいていることに気づかされます。
思えばイタリアでは、すでに2017年にナポリのピッツァ職人の技が、無形文化遺産として登録されています。評価されたのは、ピッツァという料理そのものではなく、職人技や共同体、仕事と生活が結びついた文化でした。今回、イタリア料理全体が登録されたことは、その延長線上にある自然な流れのようにも思えます。
今回ユネスコが評価したのは、パスタやピッツァといった象徴的な料理ではなく、家庭で受け継がれてきた作り方、地域ごとの違い、季節感、そして食卓を囲む時間そのもの。ミラノのような大都市に暮らしていても、それが「保存すべき文化」だと語られる理由は、日々の生活の中で自然に理解できます。
日本人としてこの状況を眺めていると、和食が無形文化遺産に登録されたときの感覚と重なります。高度な技術や格式ではなく、日々の暮らしの積み重ねが評価された点において、和食とイタリア料理はよく似ています。どちらも、静かに続いてきた日常が、後から名前を与えられた文化なのだと思います。
登録されたから価値が生まれたわけではなくて、ミラノの台所でも、登録前と後で料理のあり方が変わることはなく、イタリア料理はすでに人々の生活の中で十分に成熟していました。今回の決定は、その事実を「文化遺産」という言葉で、ようやく言い表しただけなのです。

特派員

  • 三上 由里子
  • 職業音楽家

チェリスト。ミラノを本拠地にソロとアンサンブルの演奏活動中。クラシックからポップスまで幅広いジャンルのレパートリーを持ち、イタリアの人気コメディアンの番組にバンド出演中。

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