BTSのワールドツアーにイタリア公演が含まれなかったというニュースは、単なる音楽ファンの失望以上の意味を、私は感じました。
昨年のテイラー・スウィフト、今年のブルーノ・マーズと、世界的アーティストの公演が続いた直後だけに、若年層の落胆ぶりが目につきます。しかしそれ以上に、「逃した」という感覚に近い、ミラノの産業界の焦りが無きにしも非ずです。なぜなら彼らは、単なるアーティストではなく、都市のイメージや観光、さらには消費行動までを変える存在となっているからです。
イタリアがここまでKカルチャーに敏感になった背景には、韓国との関係の変化があります。1990年代のイタリアと韓国の関係は、決して文化的に近いものではありませんでした。製造業や自動車、造船といった分野での交流が進む一方で、韓国の文化面はヨーロッパではほとんど知られていなかったのです。
転機が訪れたのは2000年代以降でした。韓国政府は自国文化を国家レベルの輸出産業プロジェクトにし、音楽、映像、ファッション、化粧品を一体化させた戦略を進めてきました。イタリアにおいても、当初は「若者向けの一時的ブーム」と見られていたK-POPが、気づけば今ではスタジアムを満員にし、街の経済を動かす存在へと変貌していました。
イタリア人が驚いたのは、そのスピードだけではないでしょう。K-POPのコンサートに足を運ぶファンは、音楽だけでなく、韓国料理、ドラマ、スキンケア、さらには旅行先としての韓国にも関心を広げていくのです。文化が一度の消費で終わることなく、次の産業へと自然につながり、さらなる発展を遂げていく構造が、はっきりと見えてきます。
ここで、日本とイタリアの関係を振り返ると、韓国のそれとは面白いくらい対照的です。日本とイタリアは長年にわたり、「職人気質」「伝統の美意識」「食と暮らし」といった共通点を大切にしながら、安定した文化交流を築いてきました。その関係性は、成熟した大人同士の、静かなデートのようなものを連想させます。
アニメに関しても同様です。日本のアニメは、子ども向け番組として日常に入り込み、世代を超えた熱狂的なファンをイタリアに生み出してきました。翻訳され、歌い替えられ、イタリア語化された日本アニメは、異文化でありながらも、まるで自分たちの物語であるかのように受け入れられ、静かにイタリア社会に根付いていったのです。
一方、韓国はイタリアに対し、より動的で、若い世代を巻き込む形で存在感を強めてきました。その関係は、まるで勢いよく波に乗るサーファーのようです。
Netflixを通じた韓国ドラマの成功や、アニメ映画、音楽ドキュメンタリーの世界的ヒットは、イタリアの映像業界にも少なからぬ影響を与えています。興味深いのは、近年の日本アニメやKカルチャーが、もはや「翻訳されること」を前提としていない点です。主題歌は日本語や韓国語のまま、字幕付きで楽しまれ、意味が完全に分からなくても、音や感情として受け取る姿勢が、イタリアの若い世代に確実に根付いています。この変化は、新鮮であり、同時にとても象徴的です。
Kカルチャーの成功は偶然ではありません。計算され、育てられ、更新され続けてきた結果です。そして、日本文化がもたらしてきた「静かな浸透」との違いが、ミラノではいま、鮮明に見えています。
- 2026.03.09
- ミラノが逃したKファクター
