迷信とは、医学や科学が未発達で人々が恐怖を感じることが多かった時代に信じられていたことの名残にすぎない、と言う人もいますが、キルギスでは人々の暮らしに深く染み付いています。まるで伝統的なフェルト製カーペットのシルダック(shyrdak)の模様のように、迷信は目に見える形で精巧に生活に織り込まれ、知識がある人ならそこに込められた意味を読み取ることができるのです。
子どもの頃、ユルト(ドーム型の移動式住居)の中で口笛を吹いたことがあります。祖母は刺繍の手を止め、私をじっと見てこう言いました。「口笛を吹くと、悪魔が来るよ。悪魔を家に迎え入れたいのかい?」私はちょっと怖くなって笑いましたが、祖母はにこりともしませんでした。それ以来、私は決してユルトの中では口笛を吹きませんでした。
キルギスの迷信は単なる民間伝承ではなく、暗黙の行動規範のようなものです。例えば、枕の上に座ってはいけない、玄関に続く階段の上で握手をしてはいけない、夜に掃除をしてはいけない、といったものがあります。全ての迷信を理解することはできないかもしれませんが、無視する場合は自己責任でどうぞ。特に、おばあちゃんが見ている時には要注意です。
「牛乳をこぼすと不運に見舞われる」という言い伝えがあります。牛乳は繁栄を象徴するので、これを無駄にすることは運命に対する冒とくだと考えられているのです。ほかにも、「夜に爪を切ると寿命が縮む」という迷信もあります。厳しすぎるように思えますが、こうしたしきたりは、時々理不尽なことが起きる世界に秩序をもたらしているのです。
キルギスの迷信の多くは大地に関連しています。何世代にも渡り人間の生存は自然環境に左右されてきたので、これも当然のことですね。「星を指さすと指が腐る」という迷信は子どもたちに天に逆らうことなかれ、と教えるためだったのかもしれません。また、「蛇を殺してはならない」のは、彼らが精霊かもしれないから、あるいは危険を避けるための教えなのでしょう。
遊牧生活は、移動可能で記憶に基づいた信仰を生み出しました。寺院を持たず、代わりに人々は山や川を神聖なものとして崇拝していたのです。精霊はあらゆる場所に宿り、風が奏でる音は雑音ではなく呼びかけであり、誰か(あるいは何か)がそれに応えるかもしれないと考えられていました。
キルギスの迷信は家族構成とも深く結びついています。祖母を始めとする女性たちは言い伝えの守り手で、悪霊を遠ざけるために赤ちゃんの手首に赤い糸を巻き付けたり、魔除けにジュニパー(セイヨウネズ)の枝を焚いたりするのも女性の役目です。また、決められた儀式を伴わない結婚は不完全なだけでなく、危険とされています。
子どもたちは年長者を敬うよう教えられますが、これは礼儀としてだけではなく、老人たちが祝福を運んで来ると信じられているからです。年長者の言葉は子どもの運命を形作ると信じられているので、老人の軽率な冗談は呪いになりかねないし、心のこもった祝福はどんな鍵でも開けられない扉を開くきっかけとなるのです。
こういった事象は、迷信に対する考え方によって決まります。私たちはただ習慣に従っているだけなのでしょうか? あるいは、こうした迷信に従うことで、予測不能な世界において自分が状況を制御できていると感じられるのかもしれません。
多くのキルギス国民にとって、迷信は馬鹿げた古い慣習ではありません。生き残るための知恵であり、心の拠り所であり、民族性を表す指標でもあるのです。「瓶の塩をこぼすと喧嘩が起こる」という迷信を信じる必要はありませんが、実際にそうなることも少なくありません。
- 2025.06.16
- 単なる昔話ではない、キルギスの迷信