• 2025.03.17
  • インドという国
インドに行った。
やっとインドに行けた。
「インドは呼ばれないと行けない」やら「インドは誘われて行く場所」とか言われているらしいが、やっとその機会がやってきたのだ。

高校時代の親友が数年前に駐在員としてインドへ渡った。その彼からお声がかかったという事ではないのだが、彼の奥様が私の妹と仲良くしており、そこで話がまとまり、ついでに私にも誘いが来たと言うわけ。
個人的に色々と大変な時期でもあったので、迷いはあったが、チャンスを逃すべく行くことに決めた。



その旅は、ムンバイを集合地点として始まった。妹と韓国人のお友達(彼女も私の高校時代の仲間の奥様)は日本から、友達と奥様はムンバイ在住、私はポルトガルからの参加だ。到着翌日、友達を置いて、デリー、アグラ、ジャイプールとその近郊を回る、中年女子4人旅がスタートした。


友達の奥様と妹は、予定を立てるのが得意とあり、早い段階から見どころが詰まった立派なスケジュールを完成させていたが、更に土地土地で興味が湧いた場所を詰め込む始末。口コミとGoogleマップによる情報収集能力を発揮し、リストを見るだけでも目が回るような、完璧なる旅のしおりが出来ていった。
車と運転手を手配してもらった旅行会社の人は相当呆れていたが、そうともなればアイテナリーをコンプリートして行くのがもはや快感となり、ミッション・インポッシブルは許されない、修行のような旅となる。
日本人と韓国人マダム4名も集まれば、言わずともそれぞれの役割分担が自然に出来上がり、ミッションを果たすべくチームワークは素晴らしいものであった。運転手よりも先に行き先を見つける、運転手とのやりとり、次の行き先までの通り道にめぼしいものがないかチェック、Googleマップチェック、無駄のないようにガイド管理と強めの指示、旅の証拠をインスタアップ、リカーショップと酒を出すレストラン検索、支払い担当、航空券担当、などなど。道中での早歩きはもちろん、走ることもあったし、閉館のところを無理やり入れてもらうのも今の私たちだからできること。
ずっと行動を共にしていた運転手は、よく見ると男前。3日目にもなると情がわき、我々の狂ったスケジュールによくぞついてきてくれたと別れ惜しくなる。そんな彼に、最後空港へとお願いしたら、「ニカっ」と白い歯を出し、それまで見せたことない笑顔になった。空港で別れを告げ、彼は、余韻に浸るマダム4人を振り向きもせず去って行った。

正直、こんな旅は初めてだったけれども、おかげで短期間にたくさんの場所を訪れることができたし、たくさんの体験ができたと思う。そして、言うまでもなく、我々が選んだ場所はどこも本当に素晴らしく、息を呑むほど美しい場所だらけだった。今、ゆっくりとじっくりと写真を見ながら振り返り、浸っている。

インドに行って感じたこと。それは思いの外安全な国だと言うことと、インド人の多くがほぼ悟りの域にいると感じたこと。
カースト制度は廃止されているとはいえ、長く日常生活に根付いてきた意識ゆえ、現代インドにおいてもそれがまだ浸透しているようだった。我々が周った各所でも、自分よりも身分の上の人のためにひたすら働き続ける人たちが存在した。給仕された者は彼らを蔑ますことなく、また給仕する者からは妬ましさが感じられない。


ストリートで生活しているような人々を私はインド以外でも見たことがある。ラテンアメリカやモロッコでは、貧しいインド人と変わらない環境に暮らす人々がいる。ただし、彼にはあって、インド人にはないのが鋭い目つきだ。そして、闇を感じさせるオーラ。インドでは、やばい人がいても生命の危機感というか、自分の危険信号が発することはなかったのだ。


ありきたりの意見かもしれないが、インド人は自らの運命を受け入れ、カルマを背負いながら生きているのだと感じさせられた。来世の運命を信じて。


最高な体験だった。インドが恋しくてたまらない。

特派員

  • 太田めぐみ
  • 職業修復士、通訳、コーディネーター/Insitu(修復)、Kaminari-sama、ノバジカ、他

ポルトガル在住の保存修復士。主に、絵画(壁画)や金箔装飾を専門にし、ユネスコ世界遺産建築物や大統領邸の内部を手がける。シルバーコースト近くの村で、地域に根付いた田舎暮らしを満喫している。趣味は、土いじり。

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