
この日、私は朝から丁度庭仕事をしており、休憩で家に戻った時に初めて電気がないことに気づいた。そもそも、ここらでは停電が頻発するので、大して驚くこともなく、顔を洗い、着替え、昼食の支度にかかった。停電している時間がいつもよりも長く感じたので、クワで土を掘り起こしている時に、間違えて大事な電線を切ってしまったか?と不安になったが、深く考えず、そのまま準備を続ける。
しかし、しばらくすると、同村に住む友達が何人かでやってきた。彼等から、大規模な停電であることを知らされた。みんなで庭に出て、おしゃべり。男性陣は、スマホを手に情報交換をはじめ、いくつかの可能性について話していた。
「サイバー攻撃かもしれない」
「お、いよいよ来たか!」と、ミーハー心に火がついた。冷静に考えれば、恐ろしいことなのだが、実は数年前にスウェーデンで実際に起きたらしく、ドイツ語メディアで数週間前にサイバー攻撃に備える忠告が出ていたと、集まった仲間の一人が言う。私はといえば、丁度ロバート・デニーロ主演のZero Day(サイバー攻撃による、全米全土の停電、通信インフラがハッキングされる、サスペンスドラマ)を観たばかりで、サイバー攻撃に関するみんなの知識がここ1ヶ月内に集中していることが、より信憑性を高めた。映画のような話しではあるが、今の時代、サイバー攻撃の可能性は十分にあると、みんなで話し合った。
この間、リスボンではすでに、結構大変なことになっていたそうだ。
人々は早めに仕事を切り上げて帰宅したが、信号機は完全に機能せず、交通機関も停止。勿論、地下鉄のみならず飛行機も関係するので、空港では遅延や欠航が発生し、リスボン空港ではその影響が二日後の水曜日まで続いたとのこと。乗客は空港に取り残され、荷物は運航中の停電で行方不明に。荷物の中に救命薬を入れていた人には深刻な問題であっただろう。
ガソリンを供給できるスタンドでは、車の長蛇の列ができ、帰宅した者はガレージの門が開かずに路駐する他ない。機能しているスーパーマーケットでは、同じく人の嵐だったらしく、まるでCOVID-19の再来かのように必需品の食品棚からは商品が綺麗になくなっていたらしい。

そして日が進むにつれ、停電が電話網だけでなくインターネットにも影響を及ぼしていることが明らかになる。何百万人もの人が大切な人と連絡を取ったり、状況に関する詳細情報を入手したりすることができなくなっていった。後日のニュースによると、112番(日本でいう110番)も繋がらず、緊急の人は町の警官を見つけて、無線で救急車を呼んでもらうと言う、怖い思いをしたらしい。
また、地域によっては、断水もあったらしい。
我々はというと、ギリギリ子供達と通信することができ、学校に迎えに行くことができた。普段からキャンドルを灯すので、蝋燭のストックはいっぱいある。無線機もある。ただしラジオがないので、隣のおじさんに情報を聞きに行く。断水の情報を得たので、みんなで鍋やバケツに水を溜め、洗い物は全て済ませ、草花にも十分水を与えた。問題は、買い物に長いこと行っていなかったため、食品のストックがない。幸いなのは、うちの近所には薪でパンを焼いているところがあり、そこは日頃から現金支払いだ。現金所持者としては家族1番の金持ちである息子の現金ボックスからお札を何枚か取り、急いで旦那と娘にパンを2日分ほど買いに行ってもらった。作りかけだったパスタを作り終え、それと焼きたてのパンで、みんなで遅い昼食を済ませた。食べ終えた頃、村の子供達がカフェでアイスを買って食べようと、息子と娘を誘いに来てくれた。(話によるとリスボンでは、アイスが無料で配られたらしい)
娘はタブレットで動画が観れず、息子はパソコンでゲームできないのは当たり前。家族でボードゲームをすることにした。
停電になって、まず一番に気をつけたいのが冷蔵・冷凍庫である。このまま数日間停電のままなら、大掃除になるのは間違いなく、ゾッとした。人間の癖とは恐ろしいもので、夕飯時になると、ついつい冷蔵庫を開けて中身を確認してしまっている。娘が「開けるな」の張り紙を冷蔵庫の扉に貼ってくれたのだが、気づけば旦那が、ビールが波波と注がれたジョッキを手にしているではないか。
「ビールを取るために冷蔵庫を開けたのだったら、なぜ我の分も取らないんじゃ〜」と怒った。そして夜、途中からモノポリーを始めてしまった我々は、まだ一緒にテーブルを囲んでいたのだが、ゲーム中に白ワインを飲んでいる私を見て旦那に、
「まさか、ワインをおかわりする度に、冷蔵庫を開けているのか?」と迫られた。実際には、ワイングラスに大きな氷を入れて、そこにワインを注いで冷やして飲んでいたのだが、この一件で、我が家では、電力が切れるよりも酒の切れ目の方が深刻であろうことが判明した。
リスボンの方では9時半頃には電気が復旧しはじめていたらしい。この時期、ポルトガルでは21時頃まで日の明かりがあるので、その地域の人たちは、「蝋燭をつけようかなぁ」と灯したか、灯さなかったかの間で電気がついたのだと思う。我々は、まだゲーム中。せっかくなので、早く就寝するつもりでいたのに、逆にいつもよりも家族で夜更かしすることになるとは予想外である。もちろん、翌日は学校が休校になると思ったので、ゲームを続けていたのだが、夜中の12時半にパッと部屋が急に明るくなった。復旧した喜びよりも先に、「あぁ、明日は学校ある、、、」の言葉が子供たちから漏れた。
日が暮れた頃、みんなで外に出て、電気のない風景を体験する約束をしていたのだが、ゲームに没頭してすっかり忘れていた。そもそも、こんなにも早く電力が復旧するとは想像していなかった。少し後悔が残ったが、蛍の、黄緑色の光が窓越しにずっと光続けているのに気づけたことは、外は全くの闇だったことを物語っていたと思う。

電力がなく、通信もないのは不便ではあるが、昭和生まれの私にとって、自分が思い描く、家族の形を体験できた、貴重な時間であった。家族で知恵を絞り、協力し合い、共に行動する。繋がりは深まり、お互いを理解し、思いやること。家族一緒であれば、どんな困難でも乗り越えられる自信を得ることができた。そう、この数時間で、数年分の家族の絆を確立した感じがした。
4月28日のブラックアウト日は、私にとってはこの上ない幸福な1日であった。