• 2015.10.30
  • 壁際のゲジェコンドゥ
前回はティピーというスー語をひとつ覚えて頂きましたが、今回はトルコ語です。「ゲジェ」は夜、「コンドゥ」は建てられた、という意味で、ゲジェコンドゥとは「簡易建築の不法占拠」を指します。夜逃げならぬ夜建築、前回に引き続き、東西分断地域の不法占拠をもう一件ご紹介する事で、ベルリンの歴史と共に、市当局の懐の深さも感じて頂ければと思います。

ベルリンの壁というと、日本の皆さんは落書きを想像されると思いますが、落書きをする程に壁に近づけたのは西ベルリン市民だけであって、東側は壁沿いに無人地帯を設置する事によって逃亡者を監視する為の見晴らしを確保していました。今日ご紹介する占拠のあった場所は、シュプレー川から引かれた運河を埋め立てた曲線を無人地帯としていた場所で、一方の行政区画は、隣接する聖トーマス教会の手前まで直線で引かれていました。行政区上の直線に沿って厳密にジグザグの壁を建てたところで、見晴らしが悪くなるだけです。無人地帯の土地を少しばかり増やすよりは、壁の材料費を節約したかった東ドイツは壁も運河に沿って曲線で造りました。その壁に切り捨てられた小さな角が、塀の西側にある東ドイツの土地として放置されていたのです。

009_151030_11右が旧東ドイツ、左が旧西ドイツ


83年の事、あるトルコ移民のオスマン・カリン氏は60歳を迎え年金生活者となりました。働きに働き続けた人生から一転して何もする事が無くなり、退屈していたカリン氏は、粗大ゴミが不法投棄されている家の近所の空き地を片付ける事にしました。空き地が片付くと今度は家庭菜園を始め、キャベツやニンニク、トマト、ブドウなどを植えました。これが先にお話しした壁の曲線と東西分割の直線とのズレに当たる部分でした。西当局にしてみれば外国に当たる訳ですから管轄外です。一方の東ベルリン当局は、家庭菜園を装って東側に続くトンネルを掘っているのではないかと疑い、国境警備軍による立ち入り調査をしました。このときの様子を目撃した近所の人の話によると、カリン氏は銃を担いだ兵士たちに採れた野菜をお裾分けして居たという事です。

009_151030_12廃材を利用して建てられた小屋の正面
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カリン氏の育てている野菜


カリン氏が家族の為に野菜を作っているとの報告を受け、東ドイツ当局は94年、このトルコ人移民に家庭菜園としての使用を許可しました。向日葵が壁の高さを超える度に、短く刈るよう命じに来る兵士たちとカリン氏の間にいつしか友情が芽生え、クリスマスの度に東ドイツからワインとクッキーの小包が送られてきたという事です。

91年からは捨てられた家具や建具を使って小屋を建て、小屋の前にはテーブルとソファーを置き、お茶を楽しむスペースとしましたが、テーブルが何度も盗まれる為、セメントで固定しました。そんな事をされると忘れてしまいそうですが、公道です。東西統一後は立ち退き要求などもありましたが、2004年に正式にクロイツベルク区長の許可を得るに至りました。

009_151030_14足元をセメントで固定されたテーブル


壁の崩壊後は旧東側にも家庭菜園を拡大したミニ農園となりました。庭の中央に並ぶブロックは以前壁のあった場所を示しているそうです。隣接する聖トーマス教会の牧師とも長年の親交があり、東ドイツからも統一ベルリンからも許可されたカリン氏の家庭菜園は、信教や主義を越え、のどかに野菜を実らせており、最近では、観光客が足を止めるちょっとした見物スポットになっています。

009_151030_15中央のブロックが旧壁のあった位置



特派員

  • 渡辺 玲
  • 職業通訳、中華料理店店長代理

ベルリン自由大学の修士課程を卒業。専門分野は、映画理論、ドイツ新現象学、神経哲学。ベルリン在住13年目、住んでいると当たり前になってしまうベルリン生活を、皆さんへご紹介することで再発見していきたいと思っています。

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