1945年4月11日にスペインが国交断絶を宣言して以来、翌年1月の出国まで、私的活動もままならなかった中で、コレクション中368点を6回に分けて本邦に発送していたとのことです。それ以外の収集作品はスペインに残されましたがそれらの行方についてはあまり多くの情報がありません。記録されているのは帰国直前の1月18日、319点をスペイン外務省に寄託し、そのうち189点が彼の友人のルイス・ニエト・アントゥーネスLuis Nieto Antúnez氏に売却されたということが判明しているそうです。
そしてスペイン政府寄託分の中で1964年に107点が返還され、6年後この須磨コレクションを中心とした「スペイン美術巨匠展」が開催されました。展覧会は日本各地を巡回し、開港400年を祝う長崎で同年4月19日に終了した後、須磨氏は展覧会出品作品中92点を長崎県に寄贈、現在501点に上る長崎県美術館所蔵須磨コレクションの礎となりました。
そもそも長崎は貿易を通じて南蛮とよばれたスペイン・ポルトガルとの関係が深く、須磨氏にとっては外交官としての最初の赴任地である中国へ渡る寄港地で、かの地に駐在中にもしばしば訪れていた思い出の地だったようです。またマドリード駐箚時に知りえた多くの軍事情報にも関わらず長崎・広島の惨禍を防げなかったという忸怩たる思いと贖罪意識もあったのかも知れません。とまれ、この地には特別な思い入れがあり、スペインで収集した作品の寄贈に至ったのではないでしょうか。
今年は被爆80周年、美術館開館20周年を記念してスペイン美術を柱の一つとしている長崎県美術館では『ゴヤからピカソ、そして長崎へ 芸術家が見た戦争のすがた展』を開催します。須磨コレクションを鑑賞しつつ、スペインの画家たちを通じて戦争について考えるよい機会になると思います。
会期:2025年7月19日(土)~9月7日(日)
引き揚げ時について:米国、英国、中国、ドイツと海外経験の多い須磨氏をして“一生で最も記念すべき処になった”と言わしめたマドリードを去り帰国の途についたのは1946年1月21日のことです。マドリード発08時15分の特別列車802号に乗車、深夜23時50分バルセロナに到着したのち翌々日23日に写真1のスペイン政府手配の“プルス・ウルトラ号”に乗船、ナポリ、ハイファ、ポートサイド、スエズ、コロンボ、シンガポールを経由してスペイン船の最終目的地であるマニラに3月13日に着きました。そこで日本から派遣された復員船“筑紫丸”に乗り換えて浦賀港に到着したのはスペインを出てから2か月後の3月26日です。

写真1
この船で帰国したのは主に欧州や中東に残留していた在外公館関係者やその家族、特派員や商社員などで、総勢321人でした。政府高官が多く乗っていた関係上、航行中は米軍の潜水艦が並走し監視していたと言われています。浦賀港着岸後は船内で一人ずつGHQの取り調べを受けてから上陸を許されました。写真2は下船直後の須磨氏です。帰国の喜びと当時に、A級戦犯容疑で逮捕命令が出ているという状況下での不安とが入り混じった複雑な気持ちであったとお察しいたします。

写真2