• 2016.01.29
  • フィレンツェを支配したメディチ家の豪華
キリストの生誕を祝うクリスマスの最後の締めくくりとして、1月6日にエピファニア(東方3博士の礼拝)の祭日が祝われました。毎年この日には、ルネサンス時代の衣装を身にまとった500人もの有志による華麗な時代行列が旧市街中心地にて催されます。

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タイムスリップ。豪華な衣装に身を包んだ貴人達、調教馬や騎士、鷹、大旗を使用した曲芸とバンド等の行列の様子。
 
ルネサンス期にもこのキリスト生誕を讃える行列は行われており、仮装行列の中の重要な役を占めていたのが当時のフィレンツェの支配者メディチ家の人々でした。この仮装行列の様子はファミリーの住居であったメディチ・リッカルディ宮殿の壁に描かれたベノッツォ・ゴッツォリ作のフレスコ画にて現在でもしのぶことが出来ます。

006_160129_2東方から星に導かれる長い旅を経て、ベツレヘムの馬小屋で生まれたキリストに金、もつ薬、ミルラを捧げる旅をする3博士の行列。物語の人物に扮したメディチ家の人々。(作者:ベノッツォ・ゴッツォリ 出典:Wikipedia)
 
フィレンツェの街が現代にまで膨大な数の美術品を残し伝え、ボッティチェリやミケランジェロ等数々の有名な芸術家を生み出す原動力となりえたのは、ルネサンス芸術のパトロンとなったメディチ家の活躍のおかげです。ウフィッツィ美術館、ピッティ宮殿のコレクションが有名ですが、シニョリーア広場に面したヴェッキォ宮殿は現役の市役所としても使用されている世界一級の文化遺産です。

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シニョリーア広場に面したヴェッキォ宮殿。 中庭の回廊は近年日本の企業の後援により修復がなされた。(出典 Wikipedia)

2015年よりイタリアでは、毎月第1日曜日に国立美術館の無料開放日が設定されました。同日、フィレンツェ市も市営美術館の市民への無料開放をしている為、この日は市庁舎や美術館に長い列が出来ます。

私も開放日を利用して、14世紀に建てられてから700年間も政庁舎として使用されているヴェッキォ宮殿と内部美術館を見学してきました。この日はメディチ家の財宝であるタペストリー(室内の壁をおおうための大型の装飾的な織物)の修復後展覧会が見学の目的です。イタリア中の話題をさらったこの20枚の巨大(1枚約 6 × 4.5メートル)で豪華な織物は、全て手作業で27年もの歳月をかけて汚れの洗浄、補修用糸の染色、繕い、可能な場面の再現などの保存修復処置が行われました。修復後の展覧会はローマの大統領官邸やミラノの万博等にての巡回展示を経て、1545年当時に室内装飾として使用されていた、ヴェッキォ宮殿内の200人広間に里帰り展示されました。

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タペストリーの図柄に描かれた20の場面は旧約聖書「創世記」に登場するユダヤ人ヨセフの予言と暗示に満ちた英雄物語ですが、当時のメディチ家頭首のコジモ1世により、メディチ家とコジモ自身の威厳と寛大さを示す為の比喩としてこのストーリーが選ばれました。また高度な技術を要するタペストリー制作は全てフランドルの国々等外国へ注文するのが常だったのを、1545年にコジモ1世が技術者の招聘をして制作したフィレンツェ製タペストリーの初めての例となりました。


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タペストリーの一場面。ヨセフの寛大を示す場面。フィレンツェの紋章。


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重要な政治の場であった200人広間の壁全ては、この豪華な金銀錦の織物で覆い尽くされていました。ろうそくの火で照らし出され、隙間風にわずかに揺らめく巨大な織物は当時の人にとっては目の前に実際に動く人物像を見るような演出効果だったはずだと、展示の担当者さんが説明してくださいました。


私のブログ記事は今回で最終回を迎えました。締めくくりはフィレンツェ市に感謝の意を込めて、ルネサンスを花開かせた一族「メディチ家」の華麗な活躍の一端を紹介させていただきました。また、最後まで読み進めていただいた皆様、ブログ編集ご担当者様、皆様に心よりの感謝を捧げます。



特派員

  • 木田 美秀
  • 職業西洋絵画修復家

京都精華大学日本画科卒業。2008年よりルネサンスの都フィレンツェにて起業、イタリア古典絵画修復を専門として活動し、現在に至ります。休日の癒しは、市場での美味しい食材探し、近隣の町めぐり、所属の聖歌隊で歌うことです。

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