• 2019.09.13
  • AURA SINTRA 2019

生まれつき目の見えない人は、光を感じることはできるだろうが、光の色や種類を見ることはできるのだろうか? ましてや光によって生まれる影はどう理解するのだろうか?

ふと、写真集「Nostalgia della luce」の最後の写真、盲目の写真家Evgen Bavcarが自らの影を撮った写真を思い出した。
Even Bavcarは、不幸にも2度の事故で両眼を傷め、12歳には完全に失明。写真との出会いは、16歳の時に、好きだった女の子を撮ろうとカメラを手にした時だったそうです。
彼の写真は、写る物体が暗闇に飲み込まれたような、時には光に色付けられたような、なんとも言えない幻想的な仕上がりになっている。光と影を明確に捉えており、ましてや可視の世界では見えないプラズマ的な光まで操っているかのようだ。
彼は出来上がった写真を見ることはできないが、写真で撮った空間は彼にはイメージできているのだろう。まるで彼は我々に不可視の世界にも闇と光が存在することを思わせてくれる。



20代の頃、ブラジルで目の見えないアーティストと行動を共にした事があった。このアーティストは、40代までは光のある世界で活動をしていたが、彼の制作する作品の細かさゆえ、彼は失明してしまう。その後、彼は作風を変え、手探りで作品を作りながらもアーティストとしての道を歩み続ける。
ある日、宝石商のところへ一緒に行くと彼が、石の光が分かると言った。しかも巨大な岩にびっしり詰まった水晶の前に行くと、眩しいくらいだと手をかざしていた。水晶はキラキラとしていても、私にはその部屋の照明の方がよっぽど明るく感じだのだが。
きっと水晶からはパワーが発していて、目は見えなくとも他の感覚が研ぎ澄まされた彼には、それを感じることができ、それを光として認識したのだろう。水晶の輝きを光と感じるのは決して間違っていないと思う。
盲目の人が光を知るには、光が発する暖かさ以外にもあるのだと初めて知った。



8月の初め、子供を連れてAura Sintra 2019というイルミネーションのイベントに行ってきた。光を物質、媒体、メタファーとして捉えるアーティストが世界中から集まり、シントラ市の協力も受け、10個の作品がシントラのユネスコ世界遺産の地に設置された。
霧が覆う普段から神秘的な街が、怪しい光に包まれ不気味さを増し、一層不思議な場所と化していた。





シントラ市の学校もコラボしており、環境問題に関わる映像を学校ごとに上映し、来場者へのスタンプクイズ的なものを企画。
なお、今年初の試みとして、盲目の人たちにもイベントを楽しんでもらうため、オーディオガイドが用意された。光のイベントに盲目の来場者をも視野に入れたとは、驚きであった。一体どういう説明になっているのだろうか? 非常に興味がある。


近代的な思考、未来的な光が、歴史の深い旧街と見事にマッチして、とても良いイベントだったと思う。

特派員

  • 太田めぐみ
  • 職業修復士、通訳、コーディネーター/Insitu(修復)、Kaminari-sama、ノバジカ、他

ポルトガル在住の保存修復士。主に、絵画(壁画)や金箔装飾を専門にし、ユネスコ世界遺産建築物や大統領邸の内部を手がける。シルバーコースト近くの村で、地域に根付いた田舎暮らしを満喫している。趣味は、土いじり。

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