テクノロジーの進化は、目覚ましい速さで進化し続けています。それもたった1世紀前の人間ですら想像もできないような世界に今私たちは生きています。それに伴う基礎知識の膨大さにも目がくらむようです。
「膨大な知識の体系を次世代に伝え損ねると文明崩壊の危機に面するのではないかと心配になります。」とリスボン補習校の校長先生がおっしゃいました。
去年、偶然にも立て続けにDNA関連のドキュメンタリーを観る機会がありました。
免疫を作るために、遺伝子の一部をカットし、別のに入れ替える。配列の1部分を変えるなど、バイオテクノロジーの世界です。
病気が遺伝しないように出生前の子供のDNAを編集し、遺伝性の疾患に苦しめられてきた家計から、その病気を取り除けるかもしれない。HIV患者を助けることができるかもしれない。失明した少年が視力を取り戻すことができるかもしれない。
素晴らしい医学の進歩のようだが、このように人間の都合に合わせて命を編集してもよいのかという問題を抱えることになります。
バイオテクノロジーが発展していけば、遺伝子を操作し、ブロンドで青い目の子供が作れるようになったり、高い知能の人間を作ることも可能になります。現に、自宅のラボで実験をする人々もおり、そこでできた遺伝子の注入薬がネット上で取引されているそうです。マッチョな体を手にいれるためであったり、蛍光色の犬を作るためであったりと、人はなんてよく深いのでしょう。
数十年前は、理想な体を得るために受ける整形手術ですら疑問視されていたのに、今ではDNA上でデザイン人間を作り出せる世界になりつつあるのですから、恐ろしいことです。
ニュージーランドで、キーウィなどの固有種の生き物を襲うネズミ駆除として、遺伝子編集を施し、オスしか生まれないネズミを放つ計画が持ち込まれました。マオリ族の人々を中心に話し合いが行われたのですが、ネズミは元々は19世紀に白人が持ち込んだ外来哺乳類であるというにも関わらず、マオリ族の人々はこの提案に反対しました。
「ノアの箱船は、全ての動物を乗せたのだ。」とマオリ族の長が放った言葉が印象的でした。
デザイン人間を作ること同様、遺伝子を操作して、ある生き物の子孫を絶ってしまうというのも論理的に間違っているように思います。
こうしてテクノロジーの発展のスピードを考えると、もはや技術的に可能か不可能かという議論ではなく、モラル的な部分が問われる時代なのではと感じています。
テクノロジーの進化に並行して、哲学的教育こそが、文明的崩壊の危機に対抗する鍵になるのではないでしょうか。
こうした考えや、我々の今ある常識はいずれ覆されるのでしょうか?我々のような人間は、いつか野蛮人として扱われるのか?高校の時に読んだ、ハクスリーの「素晴らしい世界」を思い出した一日でした。
- 2021.02.05
- デザイン人間