もしあなたが「ラクダは速く走れない」と思っているなら、それは間違いです。ラクダは全力で走れば容易に時速65キロに達しますし、時速40キロのペースで1時間以上走り続けることもできます。一言で言うなら「疲れ知らず」のラクダは、あなたが思うよりずっと運動に適した動物なのです。
底なしのバイタリティを持つラクダは、外見からは想像できないほど運動能力が高いのです!
アフリカの砂漠から遠く離れたこの地で、単にラクダを見るだけでなく、ラクダが「最後のひと口(もちろんこれは水です!)」を目指して競い合うレースを見られるとは、なんとも不思議な話ですよね。
実は、オーストラリアでは1年を通して多くのラクダレースが開催されており、大きな大会では勝者に高額な賞金が贈られます。
プロレベルのラクダレースは、オーストラリア国外で人気を集める競馬によく似た競技です。ラクダは最高時速65キロ、長距離コースの場合は平均時速40キロほどで走ります。
ヨーロッパ人がオーストラリアに足を踏み入れた時、内陸部に広がる砂漠の極度に乾燥した気候に阻まれ、何十年もの間、沿岸部にとどまっていました。その後、入植者たちはヒトコブラクダを使うことを思いつきました。
私が読んだ記事によると、内陸部の探検踏破を目的にヒトコブラクダの輸入が始まったのは、1800年代中頃のことでした。この試みは成功し、1870年から1920年までの間に20,000頭以上のヒトコブラクダ(と何頭かのフタコブラクダ)がアラビア半島やインドからオーストラリアに持ち込まれました。
また、持ち込まれたヒトコブラクダは複数の品種がいたため交雑が進み、現在のラクダには様々な遺伝子が混ざり合っています。
もともとヒトコブラクダは大量の毛織物を海岸まで運ぶ使役動物として畜産業界で使われていましたが、重い荷物を担ぎながら何日も水を飲まずに何キロも歩くことができるため、電柱や線路など、あらゆる重量物の輸送に使われるようになりました。早い話、アウトバックを制覇して内陸部の地図を描くことができたのも、前哨基地を配せたのも、畜産業を拡大してオーストラリアを西欧化できたのも、ラクダたち(大半はヒトコブラクダですが、その他のラクダも含みます)のおかげなのです。
残念ながら、1940年頃に国内初の舗装道路や自動車、沿岸部をつなぐ鉄道が完成すると、長年にわたって交易の繁栄を支えてきたラクダやキャラバンは時代遅れとなりました。それまでラクダたちは極限まで酷使されていましたが、突然無用の長物となり、当然の結果として野に放たれ、野生化しました。やがてゆっくりと環境に順応すると、繁殖し始めたのです。
ラクダレースがオーストラリアに伝わったのは1970年代頃のことで、野生化したラクダの一部は再び人間により飼育されるようになります。
こうしたレースは単にレースを鑑賞するだけではなく、多種多様なお楽しみやラクダレース関連のグッズを販売するたくさんの屋台が多くの観光客を惹きつける、まさに国を挙げてのイベントです。
アリス・スプリングスで開催されるラクダレースは、私のお気に入りです。
アウトバックやオーストラリア西部の一部では、ラクダに乗ることもできます。もちろん、ゆっくり歩くので心配無用です。
なかにはラクダに乗ってアウトバックや海岸まで行けるツアーもあります。