文字通り訳せば「羊飼いの茂み」になりますが、その昔、市外に住む羊の酪農家たちがスミスフィールドのマーケット(訳註:シェパーズ・ブッシュからスミスフィールドまでは10キロメートル弱)へ向かう道中、この地域で休息していたことに由来しているようです。
現在はもっぱら住宅街で、中心部の喧騒からほど遠い静かな環境ですが、交通の便がとても良く、地下鉄の駅が多く複数のバスが運行しています。
また、ケンジントンやノッティングヒルのような高級住宅街とは異なり、家賃もかなりお手ごろです。
住宅街の中心部にはシェパーズ・ブッシュ・グリーン(Shepherd's Bush Green)があります。通称「ザ・グリーン」(The Green)と呼ばれ、面積3ヘクタールの広大な緑地と成木を特徴とする、独創的な三角形の空間です。
地元コミュニティとしてはオーストラリアとニュージーランドのコミュニティの歴史が古く、英国の中に太平洋がポツンと浮かんでいるような感じです。
とはいえロンドン自体が多文化な街ですから、この地区でもポーランド人やソマリ人、中近東やアイルランドの人々のコミュニティが共存しています。
さて、ロンドンは家賃がとても高く部屋が狭いとされています。その通念に疑問を呈している最たる例が、ここシェパーズ・ブッシュの中心部にある「細長い」住宅です。
ロンドン一狭いこの住宅はゴールドホーク・ロード(Goldhawk Road)沿いに位置し、その幅わずか1.8メートル。
建築士の狙いは、感覚と居住の快適性の限界を探り、人と空間の関係について改めて考える機会を生み、必要最低限のものだけを備えた、まさに生活様式と機能性の小宇宙を作り出すことにありました。
隣接する建物とは外観の色が異なりますが、通りを歩いてもその違いに気づく人はほぼいないでしょう。
ビクトリア朝様式のテラスハウス(連棟住宅)の間に極細のエリアが一つ挟まっているような感じです。けれども驚くのはその内装で、必要な設備が幅1.8メートルの空間にすべて収まっています。
各階の内部は、快適かつ健康的な生活に必要なものがすべて揃ったペントハウス(訳註:ビル等の最上階に設けられた特別設計の高級アパート)さながらに改築されています。
堂々と建ち並ぶビクトリア朝の家々とは好対照をなすこの建物。標準的な比率を無視した造りで、これが見る人を惹きつける大きな魅力を生み出しています。
当初は帽子屋を営む5階建ての建物でした。その後、数度にわたって改築や増築を重ね、工業化が進められたビクトリア朝時代には、街で当時流行していたむき出しのレンガのファサードに挟まれ、さらに狭い造りに変わっていきました。
玄関をくぐれば、複雑な造りの小宇宙に引き込まれ、階を上るごとに床面積が広くなっていきます。
小さいとはいえ、部屋に必要なものは完備されており、内装は改修やカスタマイズができるように設計されています。
キッチンにも必要な器具がすべて揃っていて、リビングには狭い空間を上手に利用した壁掛け暖炉が備えられています。
まさにすべてが整っており、屋外にはくつろげるテラスまであり、プライバシーも確保されています。
天井には天窓があり、夜はここから星空が楽しめます。
小さいけれど、魅力あふれる個性的な住まいです。
風情ある壁や上質の寄せ木使いのフローリング、二色使いのオーダーメードの家具、ビンテージものの調度品などが、入居者を温かく迎え入れる雰囲気を漂わせながらも、必要最小限に抑えられた造作になっています。狭い空間でも快適かつ機能的な住まいに変身できることを示す好例でしょう。
帽子屋の閉店後は、ファッション写真家のユルゲン・テラー氏(訳註:ドイツ生まれ、ロンドンを拠点に活動)がここを住居に改造し、「最高のデザインハウス(the design house par excellence)」と呼んで一時期暮らしていました。
現在は、ロンドンのような、生活費の高くつく大都市における建物の外観や狭い空間に対する固定観念をすべて廃した造りが目指されているとか。
2020年に売り出された際には一般の見学が可能になり、その1年後におよそ100万ポンド(約1.5億円)で売却されました。
