• 2021.07.05
  • 古代都市 テオティワカン
メキシコといえば遺跡、マヤ文明やアステカ文明はよく知られているでしょうか。今回は紀元前2世紀から6世紀にメキシコ中央高原で栄えた、未だ謎の多い世界遺産テオティワカン遺跡とピラミッドについてです。メキシコにはいくつかピラミッドが存在していることをご存じでしょうか。その中でも最大規模のものがメキシコシティから約50km、車で約1時間のところに位置するテオティワカンの太陽のピラミッドです。このピラミッドは高さ65ⅿ、底辺225ⅿの世界で3番目の大きさ、そして実際に頂上まで登れるという特徴があります。また、この文明は天文学が大変発展しており、年に2回太陽がピラミッドの真上に来るように、夏至の日には太陽がこのピラミッドの正面に沈むように建てられているそうです。


太陽のピラミッド


太陽のピラミッド中腹からの景色。死者の道と月のピラミッドが見える

そしてもう一つ、死者の大通りを真っすぐ進んだ北端には月のピラミッドがあります。高さ42ⅿ、底辺150ⅿでこちらも途中までですが登ることができます。ピラミッドの前は広場のようになっており宗教的行事はこのピラミッドで行われていたのではと考えられています。


月のピラミッドから見える景色

高い所が大丈夫であればぜひどちらのピラミッドも登ってみてください。標高2300ⅿの場所にあるピラミッドを登るのは少し大変ですが、小さな子供や高齢の方でも登ることは可能です。階段が急なため、一段ずつゆっくり確実に出来る限りロープで作られた手すりを持って登っていきます。頂上から見る景色は格別です。太陽のピラミッドの頂上はパワースポットとして知られており、メキシコ人も観光客も空に両手を広げてパワーチャージしたり写真を撮ったりととても賑わっています。
テオティワカンは最大20万人が住んでいたとされる巨大都市にも関わらず、文字が見つかっていないためその詳細は多くが謎に包まれたままで、なぜ急激に衰退したのかも分かっていません。テオティワカンという名前はナワトル語で「神々が集う場所」という意味です。テオティワカン文明が滅んで約500年後の12世紀頃にこの遺跡を発見したアステカの人々が名付けたそうで、元々はなんと呼ばれていたのかは分かっていないようです。
テオティワカン遺跡は約20平方kmもあり、中央に南北約5kmの死者の道があります。そしてその周辺にピラミッド等の遺跡が並んでいます。
死者の道を南から北へ月のピラミッドまで全て歩くとなかなか時間がかかりますが、南端にはケツァルコアトルの神殿があり、死者の道の途中にも1000年以上前に描かれたピューマの壁画や神殿跡、水路と考えられているものも見ることができます。


ピューマの壁画

ケツァルコアトルの神殿はピラミッドに比べて訪れる人が少ない印象ですが、テオティワカンで3番目に大きな建造物であり、タルー・タブレロ様式という斜面と平坦の組み合わせという独特な建築物ということ、彩色の名残りで赤く見える箇所があるなど見所も多い神殿です。ケツァルコアトルとは古代メキシコの神で、ナワトル語で羽毛ある蛇という意味の名です。



ケツァルコアトルの神殿

時間に余裕があればケツァルパパロトルの宮殿も見学してみてください。ここは司祭の住居だったのではと考えられているところです。柱には頭が鳥(ケツァル)で体が蝶(パパトル)の聖獣が彫られ、当時の色彩が残っている遺跡です。同じくジャガーの宮殿もまだ当時の色彩を残した壁画を見ることができます。


ケツァルパパロトルの宮殿

テオティワカンは早朝だと気球に乗って空から遺跡を見られたり、夜にはピラミッドにプロジェクションマッピングを映すショーもあるのですが、ここまでの道は周りにほとんど何も無いため安全には注意が必要です。そしてとても広い上に日陰がないので服装も要注意。午前中や夕方以降は肌寒いですが、日中は標高が高いこともあり暑く日焼けしてしまう為、日焼け止めや長袖の羽織も必須です。首都のメキシコシティからすぐに行けるピラミッドはメキシコ観光で外せないスポットだと思います。壮大なスケールに圧倒されること間違いなしですよ。

特派員

  • パドラ リボド 裕美
  • 職業主婦

メキシコの首都、メキシコシティで夫と娘の3人暮らし。夫の仕事で来墨し、スペイン語はできないながらもママ友もでき、毎日を気ままに楽しんでいます。陽気で魅力的なメキシコのことをたくさん知ってもらいたいです!

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