• 2017.12.05
  • 石づくりのイタリアの至宝
カステッロ・デッラ・ピエトラ(別名Castle in the rockまたはStone Castle)というその名も印象深い建物は、リグーリア地方有数の要塞建築です。2棟の大きな塔に挟まれながら威風堂々とした外観を放つ要塞は、この地域はおろかイタリア国内において、封建制帝国主義時代に建てられた領主の館の、文字通り原型であるとされています。リグーリア州の首都からたった40キロあまり、ジェノヴァ市の裏手に位置するヴォッビアやスクリーヴィア峡谷に残るカステラーナ(封建制帝国主義)時代の建築として、この古い要塞は最高傑作だと言っても過言ではありません。


建築の最高傑作、カステッロ・デッラ・ピエトラ

アントラ地区自然公園の豊かな緑に抱かれたこの要塞は、現在は動植物の種類が豊富な保護地区の中心地となっています。
美しい石づくりのタレット(小塔)2棟を左右に従え、眼下に広がる谷の眺めに溶け込むように佇む建物は、自然と一体化した建築のお手本と言えるでしょう。

当時の技術では困難を極めた(あるいはほとんど不可能)に違いないと思われるほど、壮麗さの中にも強烈な印象を与える建物。悪魔がこれを作ったらしいという土地の言い伝えにも、なるほどと頷ける外観です。
見学に訪れたなら、要塞の歴史にまつわる資料も閲覧しましょう。建物内部の通路に見られる意匠からは、要塞時代の名残が色濃く伝わってくるし、館内のホールに掲示された常設展のボードや印刷物を読めば、周辺の峡谷地帯にある類似の建築様式の建物についても知ることが出来ます。



見下ろせば山間部の青々とした眺め

展示された資料の数々によれば、この建物は西暦1000年頃、当時すでにリグーリア州とトスカーナ州を結んでいた目の前の山間道路を保護するため、トルトーナ(近隣の都市)の大司教によって建てられたということです。
ヴォッビア川の水流で削られた峡谷に通じるこの道路が所有者を失ったのは、18世紀末、封建制帝国主義を終結させたカンポ=フォルミオ条約が締結された時でした。

推定1050年頃にガヴィのさる侯爵によって買い取られた要塞は、次いでこの地に住んでいたマラスピナ出身の名家一族の手に渡り、貴族の宮殿として生まれ変わります。
中世時代からガヴィの侯爵家が所有していたこの土地は、隣接するジェノヴァ共和国との衝突が絶えない場所で、ジェノヴァの複数の貴族がこれらの土地を手に入れる1300年頃までは争いが繰り返されていました。



現在のお城は保護地区の一角を占めている

建物は1979年、最終的にジェノヴァの地方自治体に寄贈されています。その後、ジェノヴァ県による保護および修復作業が行われました。進む一方の構造部分の劣化を食い止めることを目的とした保護作業、不要な部分を取り壊し、High Valley Center for Historical Studiesによる掘削作業中に得られた考古学的発見を再生することを目的とした修復作業が行なわれた後、80年代からは新たな名所となったのです。

1994年に満を持して一般開放された後、お城を取り囲む雑木林一帯は、ハイキングコースやピクニックエリアを備えた保護地域となりました。
貯水池、暖炉、階段、守衛所、通路、広々とした中央ホールと、現在のお城は内部空間を含め、すべて見学可能になっています。この中央ホールは、演劇パフォーマンスやコンサート、催事や展覧会など各種イベントの会場としても使われています。
式典や儀式などの特別な行事の開催地としても人気の理由は、抜群のロケーションと眺めの良さ。また、独特のミステリアスな雰囲気はハロウィンを始めとする祝日を大いに盛り上げてくれます。朽ちるに任せて打ち捨てられた日々を経て、ようやくお城は息を吹き返したのですね。


アントラ山地と周辺の谷の景観

ガイドツアーでは、歴史を賑わせた数々の事件を追いながらかつての栄華に思いを馳せたり、フランス軍の銃撃によってその終焉を余儀なくされた場面を垣間見たりすることもできます。城塞の大砲を加熱して溶かしたブロンズは、近くのクロチェフィエスキにある教会の鐘を作るのに使われました。
ここのツアーの案内役は、なんと全員ボランティア。宝物のようなこのお城の復活劇を盛り上げるべく、彼らはジェノヴァ市から通っているのです。
お城へのアクセスは簡単です。11世紀、塩の取引のためにリグーリア州とトスカーナ州との間に設けられた道路に沿って、アントラ自然公園の美しい林道を20分ほど歩けば、お城に到着します。


ハイキングコースからお城を見上げる

特派員

  • パトリツィア・ マルゲリータ
  • 年齢申( さる )
  • 性別女性
  • 職業翻訳、通訳、教師

生まれはイタリアですが、5ヶ国語が話せる「多文化人」です。米国、ブラジル、オーストラリア、フランス、イギリスで暮らし、仕事をした経験があります。イタリアと米国の国籍を持っていますが、私自身は世界市民だと思っています。教師や翻訳の仕事をしていない時は、イタリア料理を作ったり、ハイキングをしたり、世界各地を旅行したり…これまで80カ国を旅しましたが、その数は今も増え続けています!

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