• 2018.02.05
  • ジェノヴァで見つけた、とっておきの数々
ジェノヴァは見どころが多い街で、その謎めいた魅力の象徴とも言える歴史中心地区には、迷路のように入り組んだカルッギ(幅の狭い路地)のあちこちに、地元民にすら知られていない面白い場所や出来事がひそんでいます!
「かくれんぼ」遊びにもぴったりのジェノヴァの街をちょっと歩けば、その楽しさはすぐに実感できるはずですが、今日は皆さんに、私自身がここに住んで何年も経ってからやっと見つけた、とっておきのお楽しみポイントをいくつかご紹介したいと思います。
では、私の宝物ショップの店内をご覧ください。

映画の中のジェノヴァ。
映画やミュージックビデオ、テレビコマーシャルの撮影場所に選ばれることも多いジェノヴァ。テレビの画面でジェノヴァの街を見かけると、思わず胸が高鳴ります。2013年の1年間だけでも14本のテレビコマーシャル、20件以上の国内外の写真の撮影がジェノヴァで行われましたし、近年ではオリヴィエ・ダアン監督、ニコール・キッドマン主演の映画「グレース・オブ・モナコ 公妃の切り札」の一部が、ジェノヴァの王宮で撮影されました。
さらに、映画「ルパン三世」のシーンのいくつかはポルト・アンティコ(旧港)で撮影されています。高速道路の陸橋から撮った場面などは、見る人が見れば「あそこだ!」とすぐに分かります。


多くの映画やコマーシャルの舞台となった旧港


ロトゲームを発明したのはジェノヴァ市民
ロトは古代文明の昔から伝わる一連の富くじの進化版ですが、私が知る限りでは、今の人々が親しんでいるロトが生まれたのはジェノヴァのドゥカーレ宮で、公職に志願したジェノバ市民の中から当選者の名前を当てる、“The Game of the Seminary” と呼ばれていたゲームに由来します。当時、人々は6か月ごとに選出される5人の候補者の名前を当てっこして楽しんでいたのです。その後、当てるのが人の名前から数字に変更されました。1620年以降、リグーリア州ではロトゲームのルールが厳密に定められた一方、他の州では道徳上の理由から(ギャンブルの一種と見なされていたため)このゲームは禁止されました。

アメリカ生まれのジーンズ?いいえ、ジェノヴァ生まれのジェン!
誰のクローゼットを覗いても、必ず1本はあると思われるジーンズですが、これほど広く愛されているジーンズがジェノヴァ生まれであることは、あまり知られていませんね。でもこれはほんとの話。世界一有名なこのブルーの生地は、もともとヨットの帆を作るための素材でした。その後、世界中の港を旅して回るジェノヴァの船乗りのズボンの生地となったのです。ジーンズという名称も、ジェノヴァを意味するフランス語のGênes(ジェン)が訛って生まれたものです。

アルゼンチンのブエノスアイレスとジェノヴァの共通点とは?
その答えは「ボッカダッセ」!ボッカダッセは、ジェノヴァにある美しい集落の名前です。アルゼンチンへと流れたジェノヴァ移民たちはボッカ地区に活気を与え、ボッカ2世チームを設立しました。このチームは通称「ジェノエーゼ」(ジェノヴァっ子を意味する私たちの方言です)と呼ばれ、彼らが自らのルーツにちなんで命名したものです。


ブエノスアイレスのボッカ地区

黒と赤の住居番号
ジェノヴァでは、通りの番号は商用の赤い表示、建物を表す数字は黒い表示と決まっています。イタリアの他の場所からジェノヴァに来た人が住居番号を探そうとすると、表示の仕方そのものが違うので、混乱が生じてストレスを感じることが多いのはそのせいです。ケチなことで有名なジェノヴァっ子に対して「ジェノヴァ人は数字さえ2回も使いまわす」なんていうジョークもあるほどです。


赤と黒の住居番号

近代経済とヨーロッパにおける銀行発祥の地
15世紀、ジェノヴァは地中海沿岸に数多くの植民地を保有していました。港には、イタリア中の買い手に高値で売るための希少で貴重な品々を積み込んだ何艘もの船が停泊していました。この貿易の伝統を維持するため、ジェノヴァは借金を抱えており、1408年に融資と信用取引業務に特化した初の銀行がサン・ジョルジョ宮殿で設立されました。ジェノヴァ共和国が必要とした度重なる融資により、目覚ましい勢いで強大な力を蓄え、植民地やリグーリア各地に対して直接管理を行うまでになったサン・ジョルジョ銀行は、事実上、ジェノヴァ共和国の「経済および社会秩序の保証人」と呼ぶべき存在になったのです。これがヨーロッパで生まれた最初の銀行です。

サン・ジョルジョ銀行

特派員

  • パトリツィア・ マルゲリータ
  • 職業翻訳、通訳、教師

生まれはイタリアですが、5ヶ国語が話せる「多文化人」です。米国、ブラジル、オーストラリア、フランス、イギリスで暮らし、仕事をした経験があります。イタリアと米国の国籍を持っていますが、私自身は世界市民だと思っています。教師や翻訳の仕事をしていない時は、イタリア料理を作ったり、ハイキングをしたり、世界各地を旅行したり…これまで80カ国を旅しましたが、その数は今も増え続けています!

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