• 2018.11.30
  • リグーリアの現代詩人、デ・アンドレを偲ぶ
「昨日の朝 古い港で見たものは
白い雲と清らかな空気 変わり続ける海」
これは、リグーリア生まれの最も有名なソングライターであり、正真正銘の現代詩人との呼び声も高いファブリツィオ・デ・アンドレの有名な歌の一節です。
没後20年を目前に控えた今、私たちジェノヴァの人々はいっそう彼を愛してやみません。 彼に捧げる追悼の思いは、いわゆるノスタルジーではありません。それは、彼の歌や物語、彼が表現したジェノヴァが不滅であり、彼が今もこの街の文化として生き続けていると信じる気持ちです。リグーリア州の中心地であるジェノヴァに生きるすべての人々と同じように彼が心から愛した旧市街の狭い路地、通称カルッギの隅々にまで、彼の記憶はいまだみずみずしく息づいているのです。
ジェノヴァの街と深くエモーショナルに繋がり合っていたファベール(ファブリツィオの愛称)に思いを馳せながらこの路地を歩けば、感慨もひとしおです。とりわけ様々な人種と世代が寄り集まり、あらゆる種類の店舗がひしめくカンポ通りに入ると、夢の続きのようなパラレルワールドに瞬時に引き込まれ、ジェノヴァ生まれのシンガーソングライターが残した数々の名曲のフレーズを思い出すでしょう。
思いがけない光景との出会いがそこら中に潜んでいて、目の前に突然、ルネッサンス時代の貴族の宮殿を飾ったフレスコ画さながらの壮麗な世界が現れて驚くことも。ジェノヴァでもこのあたりは、強烈なコントラストを放ちながら、朴訥とした単純な魅力も持ち合わせたエリアです。


ジェノヴァのカルッギ(路地)

デ・アンドレはまた、こんな曲も残しています。
「カンポ通りの女の子
 雫のようなそのくちびる
 瞳と同じ灰色の道では
 彼女の足元だけ花が咲く」
まさにこの曲で歌われたカンポ通り(ヴィア・デル・カンポ)の29番地に、デ・アンドレの記念館があります。
小さなミュージアムハウスでは、デ・アンドレの人物像や音楽、親交のあった同郷の芸術家の歴史に触れることができます。ここに来れば、彼が所有していた本物のレコードや写真、書籍、年代ものの雑誌、雑貨、果ては伝説のギターまで見学可能です。

ジェノヴァ近隣のソットリパのポルティコ(屋根のある柱廊に囲まれた空間)こと「善良な神たる太陽の光が届かぬ場所」(デ・アンドレいわく、ポルティコは常に日陰となるため)を通り過ぎると、観光名所のマリーナ・オブ・ポルト・アンティコ(旧港マリーナ)に到着します。歴史あるスピノーラ橋が見えるこの場所は、ジェノヴァ水族館やガラタ海洋博物館にも至近距離。特別に深い愛で海とつながっていた彼の人生を象徴するかのように、海を歌った彼の曲にちなんだ名前を持つ歩道もあります。


ジェノヴァにあるデ・アンドレの歩道

デ・アンドレの精神は、彼の「ボッカ・ディ・ローザ(ばら色の口)」という曲に歌われた集落、サンティラーリオの中心部周辺にも名残をとどめています。小高い場所にあるこの小さな集落は、心が洗われるという表現がぴったりの美しい眺めが楽しめる場所。ここでは「Crêuza de mä(これも彼の曲のタイトルです)」を見ることができます。Crêuza またはcrosaとは、壁で仕切られたレンガ造りの細い道を指すジェノヴァの方言です。サンティラーリオやロマンチックな漁村として知られるボッカダッセをはじめ、リグーリア地方の至る所で目にするCrêuzaは、画家やソングライターを含む数多くのアーティストたちに創作のインスピレーションを与えてきました。

リグーリア州とジェノヴァの自治体が後援し、Association of Friends of Poetryの運営によって、毎月、ファブリツィオ・デ・アンドレと詩人たちをテーマに掲げたイベント「Poems」が開催されています。ジェノヴァの人々にとって、彼の存在を記憶にとどめることはそれほど重要な使命なのですね。このイベントの主な目的は、彼らの功績を見直しながら、リグーリア出身のソングライター達がリグーリア地方と世界に残した文化遺産を若い世代に周知し、詩の世界に親しむ新たなきっかけを人々に提供することです。
詩の朗読にインテルメッツォ(間奏)を提供するのは、ジェノヴァを代表する芸術劇場のひとつ、テアトロ・スタービレ。
デ・アンドレの曲を追想しながらこれらの場所の雰囲気と美しさに身を委ねてみれば、ジェノヴァっ子も旅人も詩と現実の2つの世界の合間で今までと違った観点を持って、ジェノヴァの街の新しい表情に出会えるはずです。

特派員

  • パトリツィア・ マルゲリータ
  • 年齢申( さる )
  • 性別女性
  • 職業翻訳、通訳、教師

生まれはイタリアですが、5ヶ国語が話せる「多文化人」です。米国、ブラジル、オーストラリア、フランス、イギリスで暮らし、仕事をした経験があります。イタリアと米国の国籍を持っていますが、私自身は世界市民だと思っています。教師や翻訳の仕事をしていない時は、イタリア料理を作ったり、ハイキングをしたり、世界各地を旅行したり…これまで80カ国を旅しましたが、その数は今も増え続けています!

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