• 2019.09.20
  • サラセン上陸——16世紀へ旅しよう!
ジェノヴァの町を少しはずれたところで、強く想像力をかきたてられる、とても面白い行事が毎年催され、観光客からも地元の人たちからも注目の的となっています。1546年にこの地で実際に起きた歴史上の出来事、サラセン上陸を再現するイベントです。
このイベントは、16世紀に実際に起きたトルコ人の襲撃を忘れないため、毎年8月にライグエーリア村のすぐ前の海岸で催されています。
ライグエーリアはイタリアでも有数の美しい町のひとつで、港と、海を見渡すカラフルな家々が立ち並ぶ魅力的な昔ながらの漁村です。
この歴史的出来事の再現イベントでは、地元民とトルコからの侵略者たちとの戦いが繰り広げられます。実際に参加者たちは二つのグループに分かれて浜辺でぶつかり合い、海面上に打ち上げられる花火が照らし出す夜を楽しみながら、紙と発泡スチロールの球を使って対決します。辺り一帯に耳を聾して太鼓が響き渡り、火の玉が近くにある要塞を覆い尽くします。この要塞はライグエーリアの民が1500年代に防衛の必要に迫られて建てた遺跡です。
この再現劇は参加者たちを二つの陣営に分けて行われます。片方は「地元民」で、浜辺に列を組んで敵の侵攻から海岸を守り、もう一方の「トルコ人」は木製のボートと船に乗って浜沿いのエリアを侵略します。
長年にわたってライグエーリアの人々はこの敵の上陸と、地元の民の勝利で終わった戦いを演じてきました。その中には有名な海賊、ドラグーツとハイレッディン・バルバロッサ(赤髭)も登場します。この二人はリグーリア急襲の最中に、さらに正確にいえばジェノヴァ海域で、アンドレア・ドーリア(ジェノヴァ共和国の提督)によって捕らえられ、4年間ガレー船で強制労働をさせられました。
この二人の海賊はイタリア沿岸のいくつもの町を襲撃したため、ジェノヴァ共和国も、それ以外の町も、さらなる襲撃に備えて防衛のための要塞を築かねばなりませんでした。ライグエーリアの町は要塞を3つ建設しています。ひとつは見張りのためにカーポ・メーレの丘に、もうひとつはアンドラに面した海岸に(これは今ではもう存在しません)、そしてもうひとつはトッレ・デル・カヴァッロ——馬の塔(波止場の正面)と呼ばれる砦で、これは監獄としても使われました。
子どもたちはお母さん、お父さんといっしょにこの再現イベントの序幕である劇に参加できますが、2週間のリハーサルへの参加が必須です。
安全面を考慮して、対戦に参加できるのは大人だけで、トルコ人侵略者か地元民かのどちらかの組に加わります。戦いはサラセン要塞の正面の中央の船着場の砂浜で繰り広げられます。この「スバルコ・デイ・サラセーニ(サラセン人の上陸)」のイベントでは、新しいサウンドトラックや振り付けなど、毎年新たな趣向が展開されます。
例年のように、今年もこの再現イベントは運営面から見て完璧に執り行われました。
たくさんの人がショーがよく見えるビーチにピザや軽食を買ってきて、食事をしながらショーを楽しみ、村の海岸沿いの遊歩道も見物する人々で賑わいました。
花火ショーと戦いの再現劇に続いて「サラセン人たちの長い夜」のイベントやさまざまなジャンルのコンサートが繰り広げられ、店もクラブもアイスクリームパーラーも深夜まで営業します。特設会場では水風船合戦に参戦することもできます。
疑う余地なく、これはぜったいに見逃せないイベントです。衣装を着てパレードするよくある歴史イベントとは違って、このサラセン上陸は、ほんとうにあった歴史上の出来事を忠実に再現したものだからです。このイベントを見物する幸運に恵まれた人なら、「他にはない特別な体験だった」と言うこと間違いなしです。


「サラセン上陸」は見る者を過去の世紀に誘う

特派員

  • パトリツィア・ マルゲリータ
  • 職業翻訳、通訳、教師

生まれはイタリアですが、5ヶ国語が話せる「多文化人」です。米国、ブラジル、オーストラリア、フランス、イギリスで暮らし、仕事をした経験があります。イタリアと米国の国籍を持っていますが、私自身は世界市民だと思っています。教師や翻訳の仕事をしていない時は、イタリア料理を作ったり、ハイキングをしたり、世界各地を旅行したり…これまで80カ国を旅しましたが、その数は今も増え続けています!

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