いにしえの昔から、伝統衣装はリグーリア州をはじめとするイタリアの地方ごとの特徴を何よりも雄弁に語る要素のひとつとなっています。
イタリア北部各地域の伝統衣装を見てみると、形やタイプはもちろん、使われている生地も共通点がある一方、色や柄にはそれぞれの特色が見受けられます。
残された記録を見ると、それらが進化していく歴史もよく似ています。
リヴィエラ・ディ・ポネンテとコート・ダジュールに集まる国内外の旅行者や写真家、画家たちの心を長年惹き付けてやまないリグーリア州ですが、かつては冬になると羊飼いたちが羊と共に下山し、冬の間ここで過ごしていました。
そのため、羊飼いや土地の人々の伝統衣装、さらにはその変遷の歴史について記録した膨大な文書や図像(19世紀初頭にはすでに存在していたようです)が残されています。
女性の仕事着の原型は中世期に完成していた可能性が高く、一方晴れ着や男性の服装は少なくとも18世紀頃のニース(かつてイタリア、リグーリア州の一部でした)地域の衣装から派生したと考えられています。
私の友人のひとりに、地元の旅劇団で役者をしていて、伝統衣装(本物ではなく、レプリカですが)を着る機会がある人がいます。今回、彼女からこれらの衣装について少し話を聞かせてもらいました。
伝統舞踊と衣装
第1次世界大戦以降、人々が着なくなったこの種の伝統衣装は次第に忘れ去られ、別の目的のために使われるようになりました。幸いなことに多くの伝統衣装がほぼ完全な状態で我々の時代まで伝わったのは、情緒的価値ゆえに家の中で保管され、家族から家族へと受け継がれてきたからでした。
ここ30年は、伝統衣装といえばコレクションや目録作り、研究の対象で、特別なイベントがあれば着用するというような存在になっています。
最も古い伝統衣装は、その保存状態や歴史的・記録的価値の高さから判断すると、完全にお蔵入りではなかったとしてもごくたまにしか使われていなかったと考えられます。そういった衣装は、もとの形状や種類を忠実に復元する必要があります。そのために必要な素材を探すわけですが、昨今の市場(少なくとも大量生産品)では見つかるはずもなく、職人レベルを要するような特注品となってしまうのです。
女性用の衣装は、襟なしで七分袖の麻のシャツ(ブラウス)の上に、天然のウールで作った茶色の重いピナフォア(エプロンドレス)を着るスタイル。
このブラウスは女性の嫁入り道具として贈られたもので、生涯にわたって愛用できるように仕立ててあります。
気候によっては、程度の差はあっても重ためのコットン地のジャケットをブラウスの上に羽織っていました。
ジャケットには、多くの場合フラップの下に金属製のフックと小さなボタンが隠されていて、前を閉めることができます。
通常、服の上にエプロンは着けなかったそうです。
靴下は毛糸の手編みのものが一般的で、2色のストライプ模様のものが多かったようです。
日差しや寒さから頭部を守るため、ハンカチーフも愛用されていました。
ハンカチーフは普通、ウールかコットン製で、無地のものもありましたが、花柄のものが多く使われました。
このような服装が19~20世紀の進化という波を乗り越えた結果、ブラウスは次第に廃れていき、替わってよりシンプルになったシャツと普通のスカート、という組み合わせへと変化したのです。
スカートは大抵の場合、無地かストライプのコットンまたはウールの混紡生地で、それを後ろで合わせるように巻いて履いたら、その上から正面全体をカバーするようにエプロンをします。
ウールまたはコットン製のハンカチは肩を覆うようにかけ、胸の前で両端を交差してからエプロンに挟んでいたようです。