この革命は、他の地域で生産された農産物のわずかな余剰分を輸出するとともに、この地域で消費するために必要な食料品を輸入する貿易の促進に欠かせないものでした。
鉄道が建設される以前のリグーリアでは、ロバの背中や使役動物が引く荷車に貨物を乗せて部分的に陸路で運び、さらに2つの沿岸の間を運航する帆船で輸送していました。
国道や県道、市町村道など、現在ある道路網はその頃につくられたものです。
幅が広く距離も長い国道は、当時は他国との行き来や大規模な海上貿易、軍事防衛を目的としていました。
県道は県の首都間を結んで国道へとつながっており、市町村道は市町村と小さな集落を結んでいます。
19世紀中頃の旅客は、ジェノヴァと海岸や内陸部の主要都市との間を運行していた郵便馬車や駅馬車で移動していました。
ジェノヴァからトリノに行くには1日、荷物の運送にはそれ以上の日数がかかりました。重量があるので、ジェノヴァからトリノまで最大1週間ほど必要だったのです。
輸送時間は道路の状態に依存しており、遠方への輸送が行われるのは天気が良いときに限られていました。
リグーリア州の地形や地理上の位置、および形状といった理由から、道路をフランスやトスカーナ州方面の海岸沿いへと伸ばしたり、ピエモンテ州やロンバルディア州、エミリア州へ子午線沿いに走らせたりすることも可能でした。
リグーリア州の交通システム
前者は地域間の移動に役立ち、フランスの地中海沿岸とトスカーナ地方を結ぶうえで有益な道路でした。
後者は、2つの沿岸とポー渓谷の内陸を結び、南海アルプスやリグーリアン・アペニン山脈沿いの峠を通る道として利用されました。
リグーリアでは自然の方向性に応じてそれぞれの時期に多様な鉄道網が建設され、この地域に発展をもたらすとともに、領土構造や社会・経済状況に大きな影響を与えました。
鉄道での輸送コストは車や船に比べて割安なうえ、輸送時間も劇的に短くなり、ジェノヴァからトリノまで7時間以内で移動することが可能になりました。
結果として物資はより高い頻度で、定期的に輸送され、さらに悪天候でも同じ料金で輸送できるようになりました。
鉄道の新たな区画の開業が発表されたとき、もはや同ルートを走る駅馬車や車、荷車のことは話題にも上りませんでした。
サヴォナやジェノヴァ、ラ・スペツィアなどの都市の後方と海岸沿いだけに線路が敷かれることになったため、現在のようにリグーリア内陸部の大部分がこの新しい交通手段から取り残されてしまったのは残念なことです。
鉄道によって物資や人間の移動は容易になりましたが、様々な鉄道の建設に多額の費用がかかったため、リグーリア州の効率的で完全な馬車道システムの建設は何年も遅れてしまいました。この遅れにより、鉄道が通っていない内陸部は大きな損害を被りました。列車の運行もなく、同時に馬車道も整備されない状況だったのです。結果的に、鉄道の恩恵を受けたリグーリア地方の他の地域に比べると、こうした地域は経済的・社会的な発展に遅れが出ました。そして今もなお、こうした村は事実上インフラがなく、観光や雇用の面でも困難な状況にさらされ、ゴーストタウンになりつつあるのです。