• 2020.02.19
  • 過保護な時代
核家族が増え子供の数が減ってきているからか、最近過保護・過干渉な親が目立ちます。
例えば日本では、落ちたら危ないから木登り禁止というのを聞いた事があります。うまく行かなかった時の事を想定して、初めからやらせない。でも、やるだけやらせてみる、あるいは出来るように手助けしてあげ、達成した時にうんと褒めてやった方が子供にはポジティブな結果をもたらすように思います。 万が一木から落ちたとしても、
「痛かったからもう木には登らない」
「次は、もう少し低い木を登ってみよう」
「枝を上手に利用したらいいのかも」
「裸足なら登りやすいかな」
のように、子供の考えは無限に広がります。なんでも体験させた方が知恵も想像力も膨らみます。
そもそも昔は、「七転び八起き」という慣用句のように、失敗しても立ち上がってチャレンジしていく事が美徳だったのではないでしょうか?
いつから一度も転ばせないようになってしまったのでしょう?

私はパプアニューギニアで過ごした幼少期、現地の人が食べてるゲキ臭い実を食べたし、どんなところでも裸足で歩いた。小学生になってからも遊んで出来た生傷は、勲章のように思ってました。今、そんな事をしていたら、私の母が周りの父母に白い目で見られていたでしょう。不衛生で危険だと。その割には、人を簡単に殺せるようなゲームを子供に普通にやらせてますが。

他に過保護・過干渉の観点で気になるのが、親が我が子が精神的に傷つかないように異常なまでに守ろうとする点です。
「うちの子太っているので、(運動会の)障害物競争でトンネルくぐるのはやめて欲しい」
「うちの子チョコレート食べられないので、遠足では他の子にもチョコレートを持たせないでほしい」
など、曲がった愛情だと感じます。
こんなではどんどんエスカレートし、そのうち集合写真で、「平均よりも背の低い生徒が可哀想だからみんなその子の身長に合わせて中腰で撮りましょう」とかが起きるのでは?
太っていようが、チョコレートが食べられなかったり、背が低くても、それが欠点として認識させないようにすべきだと思うのです。
だからやはり、木には登ってみるべきで、登りきった時の景色の素晴らしさを味あわせてあげるべきでしょう。登る前に、きちんと危険性を説明し、失敗した時は別の方法を導き出してあげる事が本当の愛情だと思います。

これからの格差社会では、過保護は金持ちが許される事。それ以下の一般人には、過保護になる余裕なんてない時代になる気がします。なのでうちの子達には、どんな過酷な状況でも強く生き抜いていけるようになってもらいたい。

特派員

  • 太田めぐみ
  • 職業修復士、通訳、コーディネーター/Insitu(修復)、Kaminari-sama、ノバジカ、他

ポルトガル在住の保存修復士。主に、絵画(壁画)や金箔装飾を専門にし、ユネスコ世界遺産建築物や大統領邸の内部を手がける。シルバーコースト近くの村で、地域に根付いた田舎暮らしを満喫している。趣味は、土いじり。

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