その内容は、生活環境を反映していたり、内面の表れだったり、年齢が関係していたり、もしくはそれら全てであったりと、様々だった思う。
ポルトガルで外出制限がかかり1週間ほど経った頃、リスボンの友人に元気にしているか連絡をしてみた。テレワークする父親、遊び盛りの子供2人、家族の世話をする母親から家族4人が、四六時中一緒のアパート暮らし。壮絶な生活がスタートしたものの、みんな健康、家族の絆も強まったとポジティブな返事と共に、不安でたまらないと、ネガティブな感情も隠しきれない様子。
不安の要因は、金銭面であった。
ご主人は、IT企業勤務なので、テレワークへの移行はスムーズであったし、仕事が減少した訳でもないが、この先もしも仕事が激減し、収入も入らなくなった時の事を考えての不安であった。
全く先が読めない今、みんな漠然とした不安を抱えている。だが、サバイバルという意味では、都会生活と田舎生活では、捉え方が異なると感じた。
都会の人々は、基本お金に頼らねば生きていけない。生きていく上で重要な食料・飲料を購入する必要があるからだ。しかし田舎暮らしの人は、生きていく上で必要な食料・飲料を得るためには、むしろお金は必要なかったりするのだ。
我が家には、畑がある。池(井戸)もある。家畜もいる。仮に家に何もなかったとしても、手を伸ばせば手に入る距離に、実り高い自然の恵みが広がっている。
サバイバル(生命)という意味においては、不安は全くない。
では、ライフスタイル(生活)ではどうだろう。
暖かい家、スタイリッシュな服、甘いアイス、心地良いベッド、グルメな料理とレストラン、イージーアクセス、お洒落なティーカップにスパイシーなお茶、フローラルな石鹸、腕の良い医者、かっこいい店・・・が当たり前である、何不自由のない生活を望むのであれば、都会に限る。
田舎生活であっても、住み慣れた環境を維持、あるいは高めようとするのが普通の成り行きだと思う。なぜなら人は、一度手に入れた心地よいライフスタイル(生活)をサバイバル(生命)な状況が迫っていても、手放すのは難しいからだ。
一食抜きにしても、友達と一緒にバーで一杯楽しみたい生き物なのだ。
さて、あなたは、もしも収入が見込まれなくなった際、どちらの「ライフ(生)」を選ぶのだろうか?