• 2022.04.14
  • オミクロン被害 パート3
 メディアは、ロシア・ウクライナの報道に偏り、コロナニュースは何処へやら? もちろん、感染者や死者が減ったわけではないが、渡航にPCRや抗原検査が義務付けられなくなったし、普段の生活での規制も緩和されました。

それでも、しつこいですが、最後の報告をしたいと思います。

日本入国に必要な書類を揃え、子供達とリスボン発―ドイツ経由―羽田に到着。飛行機を降りてからの通路は一方通行になっていて、このルートを最後まで辿って行くようになっている。そしてこのルートの各所で、様々な検査や調査のブースが設けられている。どのブースも50人ほどのスタッフが待機しており、立ち止まって人息つく間もなく新しい窓口に案内される。まずは書類が揃っているかの確認、その後PCR検査の陰性チェック、到着後のPCR検査、携帯にダウンロードするアプリの説明、実際にダウンロードしアプリインストールの指示、、、と言ったように、流れ作業でどんどんと進んでゆく。最後PCR検査結果を待ちつつ、6日間隔離するホテル情報を待つことになる。
ここまでで既に2時間ほど経っていたが、常に何か作業があったので、待たされる感覚はこの時初めて。それも「やっと一息ついて座れる」というプラス感情の方が優った。
ホテル隔離については、ひどい事を聞いていたので、どうにか親子3人でも窮屈でない空間の場所を願う。

係りがホテル移動に時間がかかるのでトイレに言っておいた方が良いとアドバイスしている。どれほど遠くに連れていかれるのだろうと覚悟して、移動バスに乗り込んだ。しばらくして、別の係りの人がバスに乗り込み、「みなさんのホテルは前に見えるあちらになります」と言う。まさか聞き間違いだと思い、軽く受け流したが、バス運転手が「はい。出発〜」とアナウンスし、その後5分も経たないうちに「はい。到着しました〜」と言うではないか? なんと我々のホテルは、空港前のロータリーに建つ、空港真向かいのビルであった。要するに、バスでロータリーを回るより、空港出口から一直線にホテルに向かった方が早いであろう距離。まるでジョークである。

ホテルフロントでも様々な説明を受け、部屋に案内される。広くはないが、新しいホテルだったので清潔で安心した。到着日は隔離日数にカウントされないので、この日から合計7日間、親子3人でこの部屋の中だけで過ごすことになる。
7日間、毎朝体温を測ってアプリで報告。3日に1回、午前中にPCR検査の義務。食事は朝・昼・夜 3食お弁当が支給される。勝手に廊下に出ることはできないので、朝から何度も館内アナウンスが流れ、その指示にしたがって行動することになる。
なんとも不思議な7日間であった。
まずはお弁当。最初の2日までは、親子3人して「キャーキャー」騒ぎながら、日本のお弁当に大興奮し、ワクワクしながら綺麗に平らげた。しかし最終日から1〜2日間は、子供達は弁当の蓋さえ開けることはなかった。常にベッドの上にいる感じなので、私は気づけば何度もトイレに向かっていた。大した距離ではないが、体を動かすと気分をリフレッシュできた。
でも最終日にトイレに言った際、私は自分が限界にきていることを感じ取ることができた。毎日同じ空間、同じ(ような)食べ物、同じような光、同じ温度、1日のメリハリがなく、脳が麻痺したような感覚だ。このホテル隔離生活、噂で聞くように、牢獄よりもちょっといいだけとういうのに納得。

誘拐された少女が何年も監禁されると言う事件をTVで観たことあるが、その少女や女性たちの気持ちが少し理解できた気がした。これまではなぜ、彼女らが、隙があった瞬間に逃げなかったかが不思議であったが、この時の自分の心理状況を当てはめてみると、自分の意思や判断能力が欠乏しているのが明らかで、逃げることなんて不可能であったのが理解できる。きっと少女や女性たちも意識がシャットダウンし「どうにかしたい」と言った感情が現れるどころか、何もかも麻痺してしまい、無気力だったのだろう。恐ろしいことだと思った。


ホテル隔離後は、実家で残りの6日間の隔離生活を実行した。
全ての隔離生活を終え、政府が義務付けた2週間の隔離生活で一番納得いかないのは、税金の無駄遣いではないかと言うこと。私と子供達は、ホテル代もドリンクも、お弁当も全て国に出してもらった。それに関しては不満はないが、全く手をつけてない弁当をそのまま捨てなければならない事、飛行機に乗る72時間前にPCR検査をし、到着後も陰性検査をし、ホテル隔離中に2回は陰性検査を受けた私たちの方がよっぽど、そこらの道を歩いている人物よりもコロナ菌を持っている確率が低いだろうに、ホテルで1週間も隔離義務がある事。入国する人たちにかかる水際対策の予算であるが、コロナ禍で本当にお金に困っている人たちに当てられないのだろうか? ホテルの部屋でボワンと過ごす日々、漠然とそう言うことを考えた。


今回の帰国での体験を通して、私が一番辛いと思ったのは、コロナ感染への不安からのストレスだった。特に日本出発予定日2週間を切ってからは、私は子供たちに対して過剰なほどコロナ菌の注意を繰り返していた。今コロナに感染してしまったら、ポルトガル行きの飛行機に乗れないではないか。再度航空会社とのやりとりをせねばならないかもしれない。それだけは避けたかった。
外出は車で。公の場ではとにかく何にも触らないように。触った場合は、手洗い徹底。
ナーバスになり、頭がおかしくなりそうで、きりきりしていた。とにかく、この時の精神状態が一番マイナスであったとはっきりと言える。

夏になったらまた一時帰国しなくてはならない。その時までにはどうか渡航のコロナ規制も緩和されていることを願うばかりである。

特派員

  • 太田めぐみ
  • 年齢丑( うし )
  • 性別女性
  • 職業修復士、通訳、コーディネーター/Insitu(修復)、Kaminari-sama、ノバジカ、他

ポルトガル在住の保存修復士。主に、絵画(壁画)や金箔装飾を専門にし、ユネスコ世界遺産建築物や大統領邸の内部を手がける。シルバーコースト近くの村で、地域に根付いた田舎暮らしを満喫している。趣味は、土いじり。

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