• 2024.07.25
  • これがペルーの国民食「ポヨ・ア・ラ・ブラサ」!私は毎日食べたいくらい、好きだ。
今日は7月1日(月)です。2024年の半分が終わってしまいました。時の流れがはやすぎませんか。1日、1日を大切に生きなければと思いつつも、なかなか上手くいきません。達成感のある1日を過ごすのはなかなか難しいなと思いながら生きています。さて、私は6月下旬に休暇をもらって、あの!有名な「マチュピチュ」へ行ってきました。というのもマチュピチュへの玄関口でもあるクスコで毎年6月24日に開催される「インティ・ライミ(太陽の祭)」をペルーに住んでいるからには一度はこの目で見ておこうと思いこのタイミングで行くことにしました。「インティ・ライミ」は南米三大祭の一つとしても有名です。楽しい旅行というよりは、毎日が修行?訓練?のような日々でしたが、この貴重な体験についても改めて記事にしたいと思います。「マチュピチュ」へ行くためには体力が絶対必要だということだけはわかりました。


本日、私がみなさまにお伝えしたいのは、私を魅了してやまないペルーの国民食「Pollo a la brasa(ポヨ・ア・ラ・ブラサ)」についてです。まず、Pollo a la brasa(ポヨ・ア・ラ・ブラサ)は、Pollo(ポヨ)が鳥、a la brasa(ア・ラ・ブラサ)がローストしたという意味なので、「ペルー風のローストチキン」です。ローストチキンなんて、世界中どこにでもあるんじゃないの?と私もペルーに到着した当初は思っていたのですが、Wikipediaにも「Pollo a la brasa (Perú)」と丸括弧でわざわざペルーと記載されているほど、この「ポヨ・ア・ラ・ブラサ」はペルーオリジナルの料理なのだそうです。


その発祥は今から遡ること70年、Roger Schuler シュラー(アイデアを出した人)とFranz Ulrichウルリッヒ(実行した人)という2人のスイス人によって開発されたと言われています。まさかの、ペルー人ではなくスイス人が開発した料理だと知った時はとても驚きました。1949年にシュラー(アイデアを出した人) が、リマ近郊のサンタクララの家で屋外パティオにテーブルが3つしかない「ポヨ・ア・ラ・ブラサ」を提供するレストラン「La Granja Azul」をはじめました。小規模でスタートさせたものの、この丸鶏のロースト「ポヨ・ア・ラ・ブラサ」が大バズり。シュラーは友人の機械技師であるウルリッヒに電話で一度にできるだけ多くの丸鶏を調理できる機械を作ってほしいと頼みました。それから、ウルリッヒは、平行移動と回転を利用し、60羽の丸鶏を一度に調理できる「ポヨ・ア・ラ・ブラサ」のオーブン開発に成功しました。さらに、ウルリッヒのアシスタントとして働いていたルイスが、最初の設計プランにいくつかの技術的調整を加え、安価な新モデル開発にも成功しました。この新モデルの開発によって、早くて、安くて、美味しい「ポヨ・ア・ラ・ブラサ」のチェーン店が多く生まれ、80年代にはペルー全土で「ポヨ・ア・ラ・ブラサ」が食べられるようになりました。機械の開発が、ペルーの食文化を発展させていたとは!!!




さらに、2010年には、長期にわたりペルーで最も人気のある料理の1つとして地位を確立してきたことが評価され、7月の第3日曜日がポヨ・ア・ラ・ブラサの日として認定されました。


私は、体調不良の日には出前で「ポヨ・ア・ラ・ブラサ」を頼むほど、この料理に魅了されています。出前の場合は、タッパーに大量のフライドポテトが敷かれたその上に鶏肉がドーンと乗っています。


やはり、何かが成功する裏側にはいつも「アイデアを出す人」と「実行する人」が同じ方向を向いて、同じ熱量を持って立ち向かっている熱めのストーリーがありますね。これからも、ペルーのこのようなストーリーを発見し続けたいと思います。


それではこのあたりでアディオ~ス!南米ペルーパラカスより山本粧子でした。

特派員

  • 山本 粧子
  • 職業JICA青年海外協力隊

ペルーのイカ州パラカス在住。現在はフリオ・セサル・テージョパラカスミュージアムでイベントの企画運営をしています。「人間とはなんだ」というテーマで絵を描いてきました。2025年7月〜9月ペルーにて個展開催決定!
皆さんにペルーへ遊びに来てもらえるよう、ペルーのOMOSIROIをお届けしたいと思います。

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