ベルリン市民は不親切で自己中心的、がさつで意地っ張り。ベルリンは不快で、うるさくて、汚くて、灰色。どこに行っても、工事現場か渋滞。…それでも私には、ここに暮らすことが出来ない全ての人がかわいそう!アンネリーゼ・ボェーデッカー(1932-)、ソーシャルワーカー
ベルリン市民、そんなに酷いのでしょうか。他の人に訊いてみましょう。神の前に、人間は皆、ベルリン市民である。テオドーア・フォンターネ(1819-1898)、ジャーナリスト・演劇評論家・エッセイスト
同じことを言っていますね。では、なぜ工事現場が多いのでしょうか。その理由は、日本とは比較にならない作業の遅さ8割、悲しい歴史2割といったところでしょう。パリはいつでもパリだが、ベルリンはいつになってもベルリンではない。ジャック・ラング(1939-)、仏元文化相
変化が激しいのは、東西分断の歴史と無縁ではありません。と思いきや、ベルリンという街は、永遠に「になる」ように、そして決して「である」ことのないように、呪われている。カール・シェッフラー(1869-1951)、芸術評論家
1910年の記述ですから、終わらない工事の呪いは分断以前からあったようです。蜂蜜は全ての花の中にある、喜びは全ての場所に。人はただ蜜蜂のようにそれを、見つけることが出来なければならない。ハインリッヒ・フォン・クライスト(1777-1811)、戯曲家・作家・エッセイスト
全ての場所、ベルリンにすら、という意味ですが、その魅力は多くの人が発見済みなようで、ドイツ中、世界中から人が集まり、外国人はとにかく多く、ベルリン出身者はとにかく少ないです。ベルリンは、街である以上に世界の一部である。ヨハン-パウル・フリードリヒ・リヒター(1763-1825)、詩人・編集者・教育者
本来は、意外と静かな場所があること表現したもの。近年は、どこに居るのか分からないぐらい飛び交う言語も混ざり合う文化も多様で、「世界の一部」の雑居状態です。そんなベルリンから蜜蜂のように楽しいことを見つけてお届けできればと思っております。