• 2015.06.05
  • ベルリン序章
初めまして。世界中の街角とリンクするこのサイトに、ここベルリンからも参加いたします。

今年は、大して寒くなかった冬が、そのくせ長引いておりましたが、やっと暦に見合った暖かさが訪れ始めております。冬は人通りも少なく、道往く人がいれば、誰もが眉間に皺を寄せてクサクサしているベルリン。太陽が出始めると途端に、今までどこで塞ぎ込んでいたのか、人々が文字通り湧き出てきます。

陽が出たとはいえ、地面には長く暗い冬が染み込んでいますから、日陰に入れば冷やりと薄寒いです。まだ冬物は洗わずにおこうと思うマフラー姿の私を横目に、待っていましたとばかりにランニング姿の人々が闊歩しています。次の長く暗い冬を乗り切るためか、人々は暇さえあれば日光を浴びにいきます。

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日向という日向に人が集まり、ギターを弾いたり、語らったり、思い思いの方法でくつろいでいます。そうやって何時間も日暮れまで過ごしている人が多く、一体皆さん何の仕事をしているのだろうと、不思議が不安に変わるほどです。

といったことは、ベルリンに限らず、暗く寒い地方には共通して見られる風物詩です。第一回目の今日は「格言の中のベルリン」として、街の横顔が見えてくるコトノハを取り上げてみたいと思います。

ベルリン市民は不親切で自己中心的、がさつで意地っ張り。
ベルリンは不快で、うるさくて、汚くて、灰色。
どこに行っても、工事現場か渋滞。
…それでも私には、ここに暮らすことが出来ない全ての人がかわいそう!
アンネリーゼ・ボェーデッカー(1932-)、ソーシャルワーカー

ベルリン市民、そんなに酷いのでしょうか。他の人に訊いてみましょう。

神の前に、人間は皆、ベルリン市民である。
テオドーア・フォンターネ(1819-1898)、ジャーナリスト・演劇評論家・エッセイスト

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同じことを言っていますね。では、なぜ工事現場が多いのでしょうか。その理由は、日本とは比較にならない作業の遅さ8割、悲しい歴史2割といったところでしょう。

パリはいつでもパリだが、ベルリンはいつになってもベルリンではない。
ジャック・ラング(1939-)、仏元文化相

変化が激しいのは、東西分断の歴史と無縁ではありません。と思いきや、

ベルリンという街は、永遠に「になる」ように、そして決して「である」ことのないように、呪われている。
カール・シェッフラー(1869-1951)、芸術評論家

1910年の記述ですから、終わらない工事の呪いは分断以前からあったようです。

蜂蜜は全ての花の中にある、喜びは全ての場所に。
人はただ蜜蜂のようにそれを、見つけることが出来なければならない。
ハインリッヒ・フォン・クライスト(1777-1811)、戯曲家・作家・エッセイスト

全ての場所、ベルリンにすら、という意味ですが、その魅力は多くの人が発見済みなようで、ドイツ中、世界中から人が集まり、外国人はとにかく多く、ベルリン出身者はとにかく少ないです。

ベルリンは、街である以上に世界の一部である。
ヨハン-パウル・フリードリヒ・リヒター(1763-1825)、詩人・編集者・教育者

本来は、意外と静かな場所があること表現したもの。近年は、どこに居るのか分からないぐらい飛び交う言語も混ざり合う文化も多様で、「世界の一部」の雑居状態です。

そんなベルリンから蜜蜂のように楽しいことを見つけてお届けできればと思っております。

特派員

  • 渡辺 玲
  • 職業通訳、中華料理店店長代理

ベルリン自由大学の修士課程を卒業。専門分野は、映画理論、ドイツ新現象学、神経哲学。ベルリン在住13年目、住んでいると当たり前になってしまうベルリン生活を、皆さんへご紹介することで再発見していきたいと思っています。

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