• 2021.09.21
  • 船長の最後退船
昭和45年に改定されるまでの日本の旧船員法では2章12条で『船長は、船舶に急迫した危険があるときは人命、船舶及び積荷の救助に必要な手段を尽くし、旅客、海員その他船内にある者を去らせた後でなければ自己の指揮する船舶を去ってはならない。』と規定していたそうです。

8月15日アフガニスタンの首都カブールがタリバンに制圧された際の各国の現地大使館はまさに沈没し始めた船舶の様相を呈していたことでしょう。大使をはじめとする公館職員、現地職員や協力者の方々は一刻も早く国外へ脱出して身の安全を図る手段を模索していたと思います。そんな中で国の代表としての最高責任者である大使(船長)自身が現場を離れて国外にいたという国の例もあったと聞きます。

しかしスペイン大使館では若干様相が異なっていました。当時アフガニスタンには理論的にはスペイン大使はおりませんでした。早くからタリバン復権時の危険を察知して、アフガニスタン在住の一般スペイン人に対して国外脱出を強く勧めていた当時のガブリエル・フェラン(Gabriel Ferrán)大使は本邦の大臣達が夏休みに入る直前の8月3日、閣僚会議において解任されていたのです。そこで荷物をまとめて早々とスペインへ帰国の途につくこともできたのですが、米国撤退期限の8月31日を待たずに首都に進攻してきたタリバン勢力の脅威もあり、後任の着任も遅れて引継ぎが出来ていない状態でしたので代行として任地に残りました。

というのも2002年1月26日以来アフガニスタンに駐留していたスペイン軍や大使館、そしてAECID(スペイン国際協力開発庁)などでスペインの協力者として尽力していただいた現地職員、通訳、警備員、運転手やその家族など数多くのアフガン人が外国部隊に寝返った裏切り者として処刑されるという危険に直面していた現実があり、沈み始めたとはいえまだ乗組員が残っている船を見捨てることのできないフェラン元大使(船長)は同僚のパウラ・サンチェス(Paula Sánchez)公使(一等航海士)と共に代行の身ながら協力者を全員救い出すまでは船に留まる決意をしたのです。

そしてスペインに協力してくれたアフガン人救出作戦が本格始動します。作戦はアラブ首長国連邦のドバイを中継点としてまずアフガニスタンのカブール空港からドバイのアル・ミンハド空軍基地の間をスペイン軍の中型戦闘輸送機A400Mアトラスでピストン輸送し、続いてドバイからスペインのマドリードにあるトレホン・デ・アルドス空軍基地までチャーターした民間航空会社Air Europa社のボーイング787ドリームライナーで輸送するというものです。


図1

当初カブール・ドバイ間にはA400Mが2機投入されましたが途中から妊婦や病人、負傷者への対応も想定し同じ機種の医療搬送仕様機も1機追加されました。最終的には合計で17往復し1機はカブール・マドリード直行便となりました。また民間機はドバイ・マドリード間を10往復して任務を完了しました。図1は今回のフライト計画です。合計で7370㎞の距離になります。因みに東京からカブールまでは約6300kmです。


写真1


写真2


写真3

写真1は今回のミッションで使用されたエアバス社の同型の軍用輸送機です。エアバス社が超大型総2階建て旅客機A380で大忙しの中でスペイン南西部アンダルシア州に設立されたエアバス・ミリタリー社のセビージャ工場で最終組み立てが行われました。写真2はドバイ空港からスペインへ輸送するためにチャーターされたと同型の民間機です。写真3はドバイの乗り継ぎ地点アル・ミンハド空軍基地の駐機エプロンで待機する各機、手前がマドリード往復する民間機、後方の2機がカブール往復する軍用機。

スペインが保護するアフガン人は当初500人~600人程度と見込まれていましたが、8月18日の第一便53人から始まってタリバンがアフガン人の出国禁止命令を出した8月24日までにすでに合計1143人を救出、その後イスラム国による自爆テロなどの障害もありながら8月27日の最終便までで最終的にはスペインに協力したアフガン人とその家族が1671人、EU関係者333人、アメリカ合衆国関係者131人、NATO関係者50人、ポルトガル関係者21人で合計2206人の避難を完了しました。この最終便に搭乗するまで米軍の管理下にあったカブール空港内でアフガン人協力者の救護作業を続けていたのがスペイン大使館員でただ二人だけ残っていたフェラン大使代行とサンチェス公使です。はからずも『命のビザ・Visas for Llife』の話を思い出しました。

自国民とその協力者を“公助”し安全確保すべき大使館員が真っ先に国外へ退去し、残された人たちの運命をそれぞれの“自助”に任せてしまう国まで出てくる中で、生命を賭して自国に協力してくれた外国人を救出するのは外交官としての義務である、として最後まで船に残ったこのお二人のとった行動は本来の意味とは若干違いますが Noblesse oblige (貴族の義務)とか騎士道または武士道などと相通じる気概を感じました。 英国大使は8月29日最終便で帰国、米国大使も米軍撤退期限8月31日ぎりぎりまで残り、できうる限りの手配をした後、無事帰国なされたそうです。


写真4


写真5

写真4.は8月27日、救出作戦最終便でマドリードのトレホン空軍基地に到着したお二人です。多分カブール空港で奮闘していた時のままのお姿でしょう。彼らを囲んでいるのはこの作戦の安全確保のために送られたスペイン国家警察のエリート集団であるGEO(特殊作戦部隊)やUIP(特殊介入部隊)の隊員達とスペイン空軍の輸送部隊です。万が一スペインで有事勃発などという事態に陥った際に、外国人である私たちもこのような人たちに守ってもらえるとしたら安心しますね。

写真5.はオーバーサイズの防弾チョッキをラフに着こなして救助活動するサンチェス公使と警護しているGEO隊員。スペインでは野外でのマスク着用義務は解除されましたがアフガニスタンはどうだったのかは定かではありません。


図2

図2,は8月4日付 大使の免職を記した政府広報です。9月6日時点でスペイン外務省の在アフガニスタン・スペイン大使館HPではいまだに大使はガブリエル・フェラン氏のままです。
http://www.exteriores.gob.es/Embajadas/KABUL/es/Embajada/Paginas/inicio.aspx

特派員

  • 山田 進
  • 職業スペイン語・日本語通訳

スペイン政府より滞在許可と労働許可を頂き、納税・社会保険料納付をはじめて早37年。そろそろシルバー人材センターへの登録も視野に入った今日この頃、長い間お世話になったこの国のことを皆様にご紹介できることを楽しみにしています。

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