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  • 2021.11.09
  • 国家の日
 あまり聞きなれない言葉ですよね。スペイン語ではDía Nacional 、英語ではNational Day。国にとって最も大切で記念すべき日で多くの国では祝日として制定されています。独立記念日や、君主の誕生日とか守護聖人の日などですが日本の場合は建国記念日ではなく天皇誕生日が国家の日とされています。

 スペインの国家の日は10月12日、現在ではDía de la Fiesta Nacional国家の祝日と呼ばれています。
この日が選ばれた理由の一つは1492年スペイン王国の後ろ盾を受けたコロンブスがアメリカ大陸沿岸の島に到着した日という歴史的事実に由来します。以前は“発見”という言葉を使っていましたが、最近では“到着”とか“出会い”に言い換えて西欧からの上から目線を避けて表現します。そのあたりのいきさつについては以前も『コロンブス・デー』として投稿しましたのでご参照ください。
https://kc-i.jp/activity/kwn/yamada_s/20171031/

この歴史的な航海を行ったのは、たった三隻の慎ましい船団でした。旗艦となるのはナオ型、またはキャラック型とも呼ばれる一番大きい、と言っても全長30m程のサンタ・マリア号でコロンブスをはじめ乗員39名、それに続く2隻はカラベラ型と呼ばれる小型帆船のピンタ号とニーニャ号、それぞれ25名と20名の乗組員だったそうです。


写真1.西回りインド・ジパング航路探検初航海に参加した三隻です。

1492年8月3日の朝まだき、アンダルシアの港町パロスを出港してから6日後に大西洋はアフリカ沖に浮かぶカナリア諸島に到着、早々と破損してしまったピンタ号の舵の修理、食料や水の補給、乗組員の訓練などを行って、再び出発したのは一ヵ月後の9月6日のことでした。

ついでながら大西洋上に浮かぶこの常夏の島々はリゾート観光地としてだけでなくバナナ、パイナップルなどヨーロッパ大陸にはない亜熱帯果物の産地としても有名です。また日本の遠洋マグロはえ縄漁船団の補給基地として70年代の最盛期には年間500隻もの日本籍船が寄港していました。コロンブスの時代から船乗り達の息抜きの港でもあったようです。

さて、コロンブス様ご一行はカナリア諸島一ヵ月滞在後ゴメラ島を出発し、37日目の10月12日、カリブ海のバハマ諸島東端にあるグァナハニ島に到着してインドおよび黄金の国ジパングへ西回りで行く新しい航路を見つけるという当初の目的を果たしたのです。“新大陸”という考えは端からもっていなかったということですね。

事実この船団の旗艦サンタ・マリア号を提供した船主であり地図制作者でもある、フアン・デ・ラ・コサはコロンブスの最初の2回の航海に参加して、1500年に歴史上初の4大陸が含まれる世界地図を制作していますが、航海の末に到着した土地にはアメリカという表記はありません。そこが新大陸として認識されアメリカという名前がつけられるのは7年後の1507年ドイツの地理学者が制作した世界地図が最初になります。



写真2


写真3

写真2.はマドリードの世界遺産地区にある海軍総司令部所属海軍博物館に所蔵されているデ・ラ・コサさんが羊皮紙に描いた史上初の4大陸記載世界地図で、写真3.はそのアウトラインです。大洋をはさんで左手の緑色の部分がアメリカ大陸の一部ですが、その記述はなく当時はインド諸国(インディアス)と呼ばれていました。アメリカ合衆国のインディアナ州、やインディアナ・ジョーンズ等々の名前の由来にもなった言葉かもしれません。


写真4


写真5

写真4.この海軍博物館の入り口の看板はサンタ・マリア号で写真5.は博物館に展示されている1992年、アメリカ到着500周年を記念して製作された復元模型です。この船は前述の地図製作者であるフアン・デ・ラ・コサさん所有のナオ型帆船で、ガリシア地方で建造されたのでガリシア号(La Gallega)と呼ばれていましたが、コロンブスの航海の旗艦になった際に所有者の住む町、大西洋に面したエル・プエルト・デ・サンタ・マリア( El Puerto de Santa María サンタ・マリア港) にちなんでサンタ・マリア号と改名されました。ちなみに上述の地図もそこで制作されたものです。

このサンタ・マリア号は第一回探検中の1492年12月24日の深夜、現在のハイチ共和国とドミニカ共和国のあるエスパニョーラ島近辺で座礁してしまいました。そして年が明けて1月4日、コロンブスはニーニャ号に乗り換えて帰還の途に就きアゾレス諸島、リスボン経由でようやく3月15日、225日ぶりに出航したパロスの港へ帰ってきたのです。そしての新しい航路が“発見”されたのをきっかけにすでに次の航海の準備が始まり二度目の航海には総勢1500人、17隻の大船団が半年余りで整い、1493年9月25日カディスの港から出航しています。コロンブスは合計4度の航海を重ねましたが亡くなるまで自分が到着したのは新大陸ではなくインド諸国と考えていました。

ジェノバ特派員パトリツィア・マルゲリータさんの記事のなかにコロンブスの故郷、イタリア・リグーリア地方にアクア・パーク、Le Caravelleがあり、カラベラ船乗船体験ができるとのお話でした。調べてみると日本でもサンタ・マリア号に乗ることができるそうですね。大阪水上バス会社の保有する帆船型観光船サンタマリア号は実物の約2倍の大きさで復元されて、大阪ベイ・エリアの名所を45分間巡行してお手軽にコロンブス体験ができる仕組みのようです。


写真6.大阪湾を航行するサンタマリア号の雄姿。


追伸 6月の記事『アンダルシアの揚げ物』
https://kc-i.jp/activity/kwn/yamada_s/20210621/
に出演していただいた、カタツムリ屋さん、チュロス屋さん、ててかむ小エビ売り、の皆さんはこの由緒ある港町 エル・プエルト・デ・サンタ・マリアの方たちでした。コロンブス最初航海の旗艦が艤装されたのは多分この町ですし、二回目の船団が出発したのも“カディスの港”と言われていますがカディス湾地域で“港”とだけ言えばこの町を指すので実際にはここから出発したのかもしれません。


写真7

写真7.は1567年の港の様子です。 左手にはスペイン海軍のガレー船が10隻、右手には海運、貿易に使用されているナオ船やカラベラ船も10隻ほど描かれていて軍港また商業港としての重要性が窺えます。


写真8

写真8.は17世紀初頭のカディス湾の地図です。カディスとエル・プエルト・デ・サンタ・マリアの位置関係や大きさが分かります。

(*)9月19日カナリア諸島のラ・パルマ島の火山が噴火し一ヵ月経った現在(10月18日)でも溶岩が流れ続けています。すでに2千に上る家屋や建屋が飲み込まれ7000人以上の住民が避難していて、いまだ勢いが衰える兆候はありません。一日でも早く噴火が収まることをお祈りいたします。

特派員

  • 山田 進
  • 年齢寅( とら )
  • 性別男性
  • 職業スペイン語・日本語通訳

スペイン政府より滞在許可と労働許可を頂き、納税・社会保険料納付をはじめて早37年。そろそろシルバー人材センターへの登録も視野に入った今日この頃、長い間お世話になったこの国のことを皆様にご紹介できることを楽しみにしています。

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